2008.07.06

子猫

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 6月の27日くらいの夜から外で「にゃあにゃあ」とにゃんこの鳴き声がしてるんです。最初はシーズンが来た女の子が鳴いているのかと思ってたんだけど・・・。
 よくよく聞いていると2匹いるような・・・。翌朝も鳴いているので、外へ見に行くと白黒のぶちな子猫がエアコンの室外機の下で鳴いていたのでした。
 うお~、かわええ。でもな~、家にはもう2匹のにゃんこと1匹のワンコがいて、おまけに今は昼間は誰もいないしな~。
 とりあえず、にゃんこのほうが逃げて行ってしまったので、そのまま家に戻りました。
 しばらくすると出かけていた上の子が「お隣さんの勝手口に子猫が2匹寝てる」と言いながら帰ってきたので、カメラ片手に見に行くと・・・。
 にゃんとも・・・かわええんです。二匹重なって眠ってました。そ~ッと近づいたけれど目を開けて。ごめん。せっかくだから写真撮らせて。
 で、おいでおいでって言ってみたけど、無理だわな。逃げて行ったよ。しばらくすると、またそこで眠っていたようでしたが、どこから来たのだね、君たちは。
 今は鳴き声聞こえてきません。寝ているのか、どこかに行ったか、拾われたか・・・。
う ちのにゃんこたちも野良猫で、とらさんはボランティア団体に引き取られてからうちに来て、みるくんは下の子が神社の境内で拾ってきたのだけど・・・。
 捨てるなよ~。置いていくなよ~。ちゃんと面倒見ようよ。子猫たち、どうなるんだろう。
 もし、つかまえられたら、ボランティア団体の人たちとかに相談もできるんだけど・・・。心配だ・・・。
Dsc02689 しばらくして、 いつの間にやら声が一匹しか聞こえてこない。見に行くと白黒ぶちはいなくなっていて黒い子しかいないのね。母猫も近所にはいないみたいで、それでも親か兄弟を呼んで鳴いているんだろうなあ。
 2日ほど前から水と餌だけ置いていたけれど、やっぱりどこへも行く気配もなく、親や兄弟がいるわけでもなさそうだったので、昨日、捕まえようということになりました。
 物置の下をほうきでつついたら、案外にすぐに飛び出してきて、一発でつかまったよ。捕まえた時、慌てて顔を掴んだものだから、かぷっとかまれて血がダラダラでてしまった。でも、子猫のキバは細いからぐっと押さえていたら傷口はすぐにふさいだみたい。

 かごに入れてミルクをあげたけど、緊張していて飲まない。なでなでしてあげたらグルグル言ってきたので、カリカリ(キャットフード)を置いてあげる。そしたら、食べていた。
 割と元気そうだけど、触るとやせているのがわかるなあ。

 前にうちのとらさんを保護して分けてくれたボランティアの人に電話をしてみると、一匹だけなら引き取るということで、家まで引き取りにきてくれました。
 そこは、ほとんどが捨て犬、捨て猫になってしまった子が多いから、無償で子猫、子犬を分けてくれます。
 もらった時は、最後までその子を責任持って飼う事、去勢避妊手術をすることなどを、約束して誓約書を交わします。去勢避妊手術は、知っている動物病院がない場合、ボランティアに協力してくれている病院に連れて行ってくれますし。
 たいてい、生後2ヶ月3ヶ月くらいまでの間に必死で里親を探すそう。やっぱりそのくらいが一番可愛くて一番貰い手がつくらしいです。その後は去勢避妊手術をして世話をしながら飼い主を探すみたい。

 うちもすでに三匹もいなければ、それかもっと田舎なら、もう一匹くらい飼ってもよかったんだけど・・・。

 とりあえず、子猫はボランティアの人に引き取られていきました。少ないけれどキャットフードと寄付もして、連れて行ってもらったけど。
 良い里親さんが見つかるといいなあ。黒猫って案外、ほしい人いるらしいから大丈夫かなあ。

 ず~と、鳴いていた子猫の声が聞こえなくなって、ほっとするような心配なような感じです。

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2008.06.19

増えました(笑)

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 この間お友達からブレスをもらってから、いくつか気になってしまって、で、案外安価だったので一気に3つ購入。
 緑色のはグリーンガーネット。オレンジのはオレンジムーンストーン。
 グリーンガーネットのは、本当ならもう少し大きい珠がほしいところなんだけど、大きいと値段もはるし、石の色が黒っぽくなりすぎてします。これは赤いガーネットでも同じことなんだけどね。なので、6ミリ球くらいまでの方が見た目の発色はきれい。
 オレンジガーネットは7ミリくらいかな。ゴールドサンドストーンと重ねてつけると色目がそろっているので、とてもいい感じ。来てすぐは水晶と組み合わせようかと思ったけれど、重ねてつけるのならそのままでもいいかなあ。
 水晶と組み合わせてあるオレンジムーンストーンは6ミリ球。これはあまりに優しすぎて、今からの季節にはちょっと合わないか?春の息吹をかすかに感じるような頃、バレンタインの後くらい。そんな季節に合いそうな感じだな。と、思った。

 そんなわけで、また「石~~~」な気分な今日この頃。石屋に行きたいなあ・・・。

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2008.06.15

温泉旅行~~~

   88歳の祖母もずいぶんと足が弱ってきた。家の中や庭で仕事をしたり移動したりする分には慣れた所だし、気をつけているので、あまり心配はないが、遠くへ行ったりショッピングセンターやテーマパークを当てもなくうろうろするには、ちょっと大変な様子。
 実家の父も癌が再発して、今、抗がん剤治療を受けている。CTスキャンの結果では徐々に小さくなっているらしいが、いつどうなるかわからない。
 義父も元気ではあるが、やはり義母を先に亡くした喪失感からか無気力が勝っていて、最近では朝昼は兼用の食事になってしまっていて、体力低下が心配。食事が2回ということは薬を飲むのも2回ということで、本当なら3回飲まないといけない薬が2回と言うことは・・・と、心配は尽きない。

 と、いうことではないけれど。程よく皆が元気で、一日くらい目を離しても大丈夫なうちにと、母と祖母と三人で一泊の温泉旅行に出かけた。
 こんなものは思い立ったが吉日、とばかりにあっという間に決まって、予約も取って、13,14日の一泊二日となりました。

 行き先は鳥羽。何故、鳥羽かというと宿泊先の旅館のチラシがタイミングよく新聞に折り込まれていたことと、遠くなし近くなし、ほんのり観光地の雰囲気を味わえて、なおかつ値段がリーズナブルって言う感じ(笑)
 実際、実家から鳥羽までは電車で待ち時間含めて1時間半くらいで行ける。これなら祖母も楽だしトイレの心配も少ない。(歳を取るとトイレ一つ行くのも一苦労なのだ(^_^;)
 で、鳥羽は割合近い観光地なので何度か行っているから、あちこち欲張って観光しなくてもいいし、その分、旅館で温泉とかゆっくり楽しめるだろうし。

Dsc02626 当日は梅雨にもかかわらず絵に描いたような晴天。特に予定もない旅でも雨降りと晴れじゃ気分も違うと思うので、お天道様に感謝。
 鳥羽駅に降りるとタクシーや遊覧船の客引きのオジさんやお兄さんが数人いて、改札から出て来る人を待ち構えている。そのうちの一人のおじさんが鳥羽湾めぐりはどうかね?と声をかけてきた。
 潮焼けしたいかにも海で働いているといった感じのおじさん。あんまり熱心にすすめてくれるし、鳥羽湾めぐりって言うのはしたことないし、今日は天気も良いし波も静かだというので、鳥羽湾めぐりをすることに決める。
 平日ということもあって、なんと、三人で貸切。小型のクルーザーを動かしてもらったけれど、この原油高騰の時期、なんとも贅沢というかもったいないというか。かえっておじさんに申し訳ないような・・・(^_^;)

 海はとても穏やかで、遠く愛知県の半島も見えた。風も気持ちよく、クルージング自体はそうびっくりするほどの物はなかったけれど、快適快適。途中横を通ったイルカ島では、ちょうどイルカショーがやっていて海からもそれを垣間見ることができ、ちょっと得した気分。イルカって思ったより大きいのね。おじさんの案内で鳥羽湾を巡る。このおじさん、見た目からは思えないくらい観光案内がうまい。このクルーザーで何百回となく同じ案内をしているんだろうなあ。よどみなくすらすらと案内してくれた。(一番上の写真は、飛島って言う島。)

 しかし・・・というか。鳥羽全体で思ったことは、鳥羽水族館やミキモト真珠島はまだしも他の施設や建物の古さというか寂れ方というかそういうものに哀れを感じたぞ・・・。
 一生懸命頑張っている人たちもいるから一概には言えないだろうけれど、正直建物のデザイン、看板や文字やディスプレイ。そういうものが1970年代頃のままなのはやっぱり痛い感じがする。それらが「古臭い」のではなく「懐かしい」になっていれば、鳥羽ももっと人が多くて賑わいのある観光地になっていたのじゃないかなあ・・・。

Dsc02628  「軽くお昼ごはんを取ろうと思うけれど、どこがおすすめですか?」と聞いたら、ミキモト真珠島の向かい側くらいにあるうどん屋さんを教えてくれた。
 「七越茶屋」と言ううどん・郷土料理のお店。伊勢地方へきたならば食べたいのは「伊勢うどん」。久しぶりに食べた伊勢うどん、うまし・・・。あのぶっとい麺。もちもちの感触、醤油のように濃い色のクセにあっさりとコクのあるたれ。おいしいなあ。
 大アサリの入ったうどんもあっさりの中に回の出汁がきいたおいしい一品でした。

Dsc02659  鳥羽駅まで戻って鳥羽一番街でウィンドウショッピング。おみやげ物やさんが満載のこのビルは真珠店や伊勢鳥羽の名産品とかが売っていた。
本真珠だとやはり高価だけれど、淡水パールは比較的お値打ち。組み合わせる素材で値段も破格の値となる。シルバーとあわせた指輪とかネックレスはたいてい1万円以下。多分、淡水パール自体の値段はそんなに高くないのだろう。
 私はスワロフスキーと組み合わせたストラップを購入。ケータイの色にもあっているし、誕生石のガーネットみたいな赤とパールの白のコントラストが気に入りました。
 母は本真珠の数珠を買っていた。やっぱり本真珠は輝きが上品だなあ。私は水晶の数珠があるから何本もいらないと思っているけれど、こういうのを見るとほしくなるじゃん(笑)

 そのあとコーヒーブレイクをして旅館へ向かう。旅館は「ホテルメ 湯楽々」。建物は古いんだけれど、こじんまりとして落ち着いた宿でした。スタッフさんは年配の方が多かったけれど、祖母や母のことを考えるとこのくらいの年齢層のスタッフさんの方がゆっくりと対応してもらえてかえって良かったです。(若すぎるスタッフさんだと気後れするみたい(^_^;)

 ここの温泉は源泉だそうで、地下2000メートルのところから沸いているらしい。地表の水が気の遠くなるような年月をかけて到達し、地熱で温められお湯になったその水をまたくみ上げているそうな。
 この温泉は「あわらぎの湯」と名づけられているのだけれど、「あわらぎ」とは、倭姫命が天照大神の御杖代として、大神を五十鈴の川上に祭ったあと、大神へ奉る朝夕供御の御贄所を定めようと志摩地方を巡行していた時、塩淡魚貝の豊かな島を見つけ、その島を淡良伎(あわらぎ)島(それが鳥羽地方なのだと)と名付け、それに由来した命名とか。
 そうか、倭姫命か。何気に選んだ宿で、そういうこととは全然関係ないところでもこの名前を聞くのだね。

Dsc02636  温泉は熱くなし、ぬるくなし。おまけに平日のおかげで宿泊客が少なく、貸し切り状態。ゆっくりゆっくり温泉を堪能できました。ジャグジーバスやサウナや露天風呂もありましたが、私的に感動したのは立ち湯。推進120センチの深さの広々とした湯船。たぷたぷと浮きながら浸かりましたよ。
 お料理は、祖母も母も私も昔のようには食べられないということで、コース的には一番安価なコースをチョイス。写真はマイフォト「おいしい」に載せてあります。
 もう少し値のいいコースを頼むとお刺身とかに伊勢海老とかあわびとかつくんだけれど、他の料理もボリュームアップしてしまって、絶対食べきれないと思ったので、「あわらぎ膳」のコース。これでもおかないっぱいで、いくつか残してしまいました。せっかく作っていただいたのに申し訳ない・・・。

 案内された部屋はオーシャンビューの部屋。窓いっぱいに鳥羽湾が広がっていた。キラキラと波がひかり穏やかでゆっくりした時間が流れていく。Dsc02652なんとも贅沢な気分。
 女三人でいろいろ話をして、ゆっくり温泉に浸かり、おいしいものをいただいてぐっすり眠りました。
翌朝も晴れ。とても素敵な朝日です。目を細めると太陽が丸いのがわかるけれど、私のカメラではそこまでは写せないなあ(^_^;)同じ日に二見浦からはダイヤモンド富士が写せたらしい。それほど良いお天気だったのだね。

 と、言うわけで、移動が少ないとは言え、やはり祖母には歩きが多いみたいで、ちょっとお疲れの様子。もう少し元気ならタクシーを使って朝熊山か二見浦くらいに行くつもりだったけれど、家に帰って疲労で寝込まれても困るので、物足りないくらいで帰るのも良しと午前中に帰途に着く。
 結局は温泉に泊ってご馳走食べて、だけの旅行になったが、もしかしたら女三人で行く旅はこれが最後かもしれないので、とても思い出深いものになった。三人で写っている写真は少ないけれど、今日行ったことは死ぬまで覚えているし、旅での出来事が少なかったせいでかえって鮮明に覚えていられる気がする。

 今回も親孝行させてもらえてありがたかったなあと、そんな風に思った旅行でした。最後にならず、また、行けたらいいなあと思っている。

Dsc02639 この写真はおまけ。宿の窓から見えた船。伊勢海老乗せて何の船なんだろうか・・・・?

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2008.06.08

へんし~~ん~~

Dsc02618  サンドゴールドストーン(茶金石)のブレスを友達からいただきました。直感で水晶と合わせれば、さらにパワーアップする!と思ったので、変身させました。
 どお?いい感じになったと思うけど・・・。実際はもう少し茶色っぽい色。うまく写真に撮れん・・・(^_^;)でも、これで、金運活力さらに充実?!
 ありがとうね(*^_^*)

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2008.06.01

やっぱり夢は変・・・

 夢を見るときは、何の関連性のないものの夢を見るときと、心や頭のどこかに引っかかっているものの夢を見るときと、印象深い出来事や人物の夢を見るときと、って感じで、いくつか区別されます。

 まあ、一般的にはたいてい、印象深いこととか、今抱えている悩み事なんかが出てくることが多いのではないでしょうかねえ。

 私はよく何の関連性のないものの夢も見ます。あとで思い出して、どうしてそんな夢を見たか全然わからないとか、どこの景色でどこの時代のものなのかわからないとか、100%みたことのない景色や人物が出てきたり、いろいろです。

 今朝の夢もある意味、まったく関連性のない物や人物が出てきた夢。

 保育園のような幼稚園のような託児所のような、そんな場所で何人かの子どもの面倒を見ています。
 蛍光管が切れたので新しいものに変えて、それをパッケージの中にしまいます。もうひとりいた人が片付けてくれるというので頼みました。
 しばらくするとソファのようなところに数人の男性が座っていました。そこへなぜか皇太子(徳仁親王)がやってきます。
 男性達と座って世間話のようなことを話していました。私は雅子皇太子妃の最近のご様子を伺いたかったのですが、そのタイミングがなかなかつかめずにいました。
 ふと気がつくと、さっき交換した蛍光管がパッケージから飛び出して割れてしまっています。
 子ども達がそれを踏むと危ないので掃除機でそれを掃除していました。

 そんな夢でした。なんだろう?意味不明な(^_^;)

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2008.05.23

今さらですが・・・

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 今夜はちょっと時間があったので、何気に自分の日記を読み返していた。みんなのくれたコメントが暖かくて、ジーンとしてます。

 義母の介護をしている時は、思うこともいろいろあったし愚痴もあったし大変だったりもしたし、それなりに必死だったけど。
 でも、今、日記を読み返して思うのだけど、義母はとても大事な時間を大事な気持ちを私に残してくれたのだなあと。
 みんなのくれたコメントも本当に心のこもった暖かいもので、その時には気がつかなかった思いも、今なら感じられたり・・・。
 いろんな大きな暖かい思いに支えられて、自分は生きていたんだなあと、ものすごく幸せを感じてます。

 それと、毎日が動き出して、それなりに忙しいから忘れているのだろうけれど、日記を読み返してみると、やっぱり義母がいないことが寂しいんだなあって自分で思います。
 一緒に住んでいたわけではないし、嫁と姑だからそれなりなこともあったはずなんだけど、最後に幼女に還ってしまった義母が切なくて愛しかったからかなあ・・・。
 心底はどうだったかはわからないけれど、取り残された子どものように不安な面持ちの義母が、私の顔を見ると安心したような表情になるのが切なくて愛しかったなあ。
 もっと、抱きしめてあげれば良かったかなあなんて、今頃思ったりします。

 ここ数日は、お天気が良すぎて暑いくらい。仏壇のお花も一週間するとしおしお・・・になってます。
 今日は、オレンジ色のカーネーションがとてもきれいだったので、白い野菊と合わせてお供えしてきました。
 
 義父はデーサービスの利用を始めて3回目。「年寄りしかおらへん!」と初めは憤っていたようなところもありましたが、施設へ行くとリハビリ用の器具とかあって、スタッフがいるところでそれらを利用することにメリットを見出し、週一度スポーツジムへ通うような感覚に気持ちをシフトしつつあるようで・・・。
 昼食も出るし送迎もついているので、それこそスポーツジムへ行っているようなつもりでいいから通って、弱った足がさらに悪くならないように頑張ってほしいです。

 
 本当に・・・。私は幸せなのだなあ・・・と。そんな風に思います。
 遠く離れていても心のどこかで繋がっているみんなと、一緒に頑張ってくれる家族と、死んでなお幸せを教えてくれる義母と、親孝行をさせてくれる義父と、いつも自分を心配してくれる実家の両親と祖母と。
 みんなの幸せを願います。せめて皆が私にくれた分だけでも、皆にお返しで来たらいいです。いつか、どこかで。

 と、言うことで、全然関係ないけど!写真はかの有名な「ひこにゃん」です。いや~、和むわ~(笑) これ見たら、ちょっとだけも幸せになれる?

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2008.05.19

お魚な夢

 夢を見ずに眠れたら、疲れないのかなあと思う今日この頃(笑)
 私の夢は総天然色です。さすがに匂いは感じませんが、時々感触などはわかります。
 で、最近の夢は・・・。

 空中を魚が泳いでいる。魚はシュークリームのようなごわごわした顔をしていた。まるで水の中を泳いでいるような感じで空中を泳いでいる。
 私は停車しているワゴン車のような車に乗っているのだが、その中に魚は入ってきた。3匹くらいいたかな。その魚の前にてんとう虫が来て羽を広げて飛ぼうとするので、それに気がついた魚に食べられそうになる。目の前で食べられるのはちょっとイヤだなあと思い、それを手でごまかしててんとう虫を助けた。
 でも、てんとう虫はそんなことはお構いなしに、また羽を広げる。魚はそれを食べようと身体を揺らすが、私はてんとう虫を手でつかんで外に出した。
 別の魚が泳いできた。黒っぽい身体に金色の飾りのついたプラスチックのような大きなうろこをつけている。キラキラと輝いてきれいなのだが、なんとなく不気味だった。
 それらは目の前でそのうろこを外すと、魚だったのが人間の姿になった。インドから来た子どもで遊んでほしいと言う。突然そんなことになると人は怖がるだろうから、挨拶の言葉を教えてあげた。 日本語では「こんにちわ」英語では「HELLO」と言うんだよ、と教えてあげた。

 なんだかよくわからん・・・。

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2008.05.18

季節は変わる

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 通勤途中に梨園が並んでいるところがある。本物の梨園(笑)歌舞伎世界とかじゃなくって。
 秋になれば、たわわに実った梨が梨園の脇で売られている。この辺じゃ、ここの梨は甘くて大きくておいしいと有名。

 私は今の職場に梅雨の頃から勤めたので知らなかったのだが、梨の木は4月中旬に花を咲かせる。写真に撮ったのは20日過ぎだが、これで満開。この後1週間くらいで花は消え、ゴールデンウィークを過ぎたあたりでは、もう葉桜ならぬ葉梨になっていた。

 これからどういう風に実をつけ、あのおなじみの梨の実になるのかは知らないが・・・。去年は夏くらいには一つ一つ袋をかぶっていたから、もう一ヶ月もしたら小さな実がそこかしこになっているんだろうな。

 あっという間にそんな時期がくるんじゃないか?と思いながら、そこを走るときはゆっくりと走りながら梨園を観察している。

 季節の移り変わりを身近に感じながらの通勤は、かなり楽しい。

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2008.05.13

百か日を終えて・・・③

 と、いうわけで、義母が意識不明になってからお葬式が終わるまで怒涛のような時間が過ぎて行った。
 終わってからも、旦那さんともども会社の休みをもらった関係で、すぐに家の片付けや不用品の整理をした。本当にあっという間に時間は過ぎて行った・・・。

 それから、寒い季節を過ぎ、春が来て、少しずつ落ち着き始め、新しい時間の流れができようとしている今日この頃・・・。

 「老い」は哀しい。切ない。一人になった義父を見ていると、無常を思う。
 けれども、「老いる」ことは辛い事でも哀しい事でも寂しい事でもないと、そうも思いたい。自分が老いた時、もし、伴侶が先に逝ってしまった時、「老いてこそ素晴らしい」と思える人生を歩きたい。

 去年、子どもが流れてから、義母の介護に時間や気持ちを注ぎ、私は自分の周り(近所や学校関係)の付き合いを絶っていた。目の前の現実と本当に身近な子ども繋がりな付き合いとのギャップについて行けなかったからだ。皆が話している子どもの問題や受験や旦那や旦那の実家の愚痴やら、ランチや流行の服やかばんの話し、ブランド物の話、そういうものと直面している現実とのギャップを埋めることができなかった。
 義母の介護や病院の付き添いとか、これ幸いとそれを理由にそういった付き合いを絶っていた。

 本当に必要なものは?本当の幸せは?

 付き合っていた彼女達が薄っぺらいわけでも、悩みがないわけでも、体験してないが故の脳天気なわけでもなく。目の前の事実が現実が違うだけなのだろうと思う。
 でも、それらと今の自分との思いや考えがかけ離れているから、今さら、以前のように屈託なくそういう話に興じる気になれない。
 また、彼女達の中にもっと深刻な事実や思いを抱えた人もいて、その人の思いや考えを私が理解しているか?と言えば、そうでもないだろう。私と同じように、興じる気になれずとも、ギャップを埋めて変わらぬ付き合いをしている人もいるのかもしれない。
 どうすることが一番いいのかはよくわからないけれど。私は義母が亡くなって3ヶ月以上たつというのに、まだ、彼女達と連絡を取って以前のようにランチや買い物に行こうという気になれない。

 もしかしたら、このまま、彼女達との付き合いはなくなってしまうかもしれないなあ・・・と思いながら、今を過ごしているが、いつかまた屈託なく話しに興じる日が来るのだろうか?

 今は、毎日アルバイトに出かけ、帰りに義父の家により晩ご飯を用意してくる。実家にいる間に仏壇のお供えやらお花を新しくしたりお水を変えたりする。
 義父の話し相手を少しして、密かに郵便とかに目を通し(最近物忘れがひどくなってきたので、さり気にチェックしている。そうしないと大事な郵便物の存在を忘れることが多くなってきたからだ。)、目に付いたところを掃除したりする。家に帰ってきて、晩ご飯の用意をして洗濯物を片付けて。
 朝はお弁当を長女が作ってくれるようになったので、少し余分に寝ていられる。起きてきてしばらくすると子ども達が出かけていくのでそれを見送り、洗濯を干して、お風呂の掃除をしておく。ワンコとにゃんこのトイレ掃除をして、軽く掃除をして、旦那さんを見送って自分も出て行く。
 週末は、時によって一日実家へ行き、掃除や洗濯や布団乾しを手伝う。そうしない日でも晩ご飯は義父も交えて食べることにしている。

 アルバイトもずいぶんと慣れてきたし、会社も私の環境に理解を示してくれるので、柔軟に対応してくれるのでありがたい。
 事務所の人も社長も相変わらず気さくで、今のところ働いているのが苦にならない状況なので、とても助かっている。

 そんなことで、以前のような学校関係の付き合いがあった友人達とは、相変わらずまったく連絡を取っていない。(向こうからも来ないのだけどね(^_^;)
 にもかかわらず、それが以前ほど苦にならないと言うか、気にならないと言うか・・・。

 最近は、喘息やらなんやらで体の調子も万全とは言えなくて、何かにつけて完璧にきちんとしないようにとしている。だから、部屋の中は雑然としているし、一度何かで散らかってしまうとなかなかすっきりと片付けることができない。

 ああ、あともうひとつ。義母を亡くして思ったことは、「自分の思い入れのあるものは他人の宝物ではない。」と言うことだ。

 義母の世代は第2次世界大戦中が育ち盛りで、戦後の物のない時代が青春時代だった。そのせいでもあるのか、当時の大企業に勤めサラリーの多かった義父母は、自分達のほしいものをたくさん購入したみたいだった。
 また、当時の役職も影響して頂き物も多かったようで、義母が亡くなって家中を整理したらびっくりするくらいの「物」が出てきた。おまけに昭和一桁生まれの人の性分なのだろう、物が捨てられない、何もかもがもったいなく、また何かに再利用できると、いろんなものが残されていた。

 衣服から装飾品、日常品、食品、食器、台所用品。義母を介護するために片付けた時の何倍もの不用品があふれ出てくる。(それでも、義母関連のものだけなのだから、義父のものも整理したらどれだけのものがまだ残っているのだろう。)
 どれもこれも、義母が生きていたら、こう言うだろう、ああ言うだろうと思うし、これは孫達にあげようと思って取っておいたのだろうなあとか、いつかは私にくれるつもりで置いていたのだろうなあとか、思い出があり、もったいなくて、積もりに積もったのだろうなあと、そう思うものばかりだった。
 感慨にふけっていたら、本当にどれこもれも捨てられないものばかり。半ばあきれ、半ば悲鳴をあげ、半ば泣きながら、それらを片付け、不用品として処分する。

 辛い作業だった。切ない作業だった。
 こんな思いは、自分だけでたくさんだ。私は子ども達にこんな思いはさせたくない。
 今まで、いろんなものを集めた。コレクションを始めれば、結構集めてしまうたちなのでいろいろと物がある。
 もう、それはやめにしようと思った。本当にほしいもの。本当に必要なもの。棺おけに入れてまで持っていたいもの。そういうもの以外は買わないでおこうと思った。
 そして、今まで集めたものは、ずっと生きていられたとして、60歳で一度すべてを処分しようと心に決めた。60歳ちょうど、とは言わないまでも、それくらいを目途として、あらゆるものを整理してしまおう。もっとシンプルに、もっとコアに生きたいと思う。

 購入するなら、少々値が張っても、本当に価値のあるものとか本物を手元に置こう。消耗品はどんどん使っていこう。
 今でも物があふれんばかりの我が家。一度には決心がつかなくても、一年に一度は整理してしまう時期を作ろうと思う。

 思い出だけ、心に残して。写真くらいはあってもいいかもしれないなとか思いながら。どの景色もどの出来事も、心に刻んで。子ども達が残しておいてほしいと思うものだけを残して。
 骨となり、土に還る。その時に持っていけるものなどないのだから。
 思いだけを持っていく。そんなことを本当に心から思った。

 あの世へ行ったら、曾祖母が残してくれたポシェットがもらえる。母と祖母とおそろいの。それは小さいもので、A5判くらいの大きさの薄いもの。そこに入るものくらいしかあの世ではいらないってことだなあと、昔見た夢を思い出した。

 現世をありがたく生きていこうと思う。哀しいも苦しいも切ないも痛いもたくさんあると思うけれど。同じだけの嬉しいも楽しいも幸せも気持ちいいもあるはずだ。
 現世を愛しく思い生きていこうと思う。繋がってくれる友や関わってくれる人々を大切に思いながら。
 分不相応なことはせずに、できることをできる時にしながら。ゆっくりと一歩一歩歩いていこうと思う。
 人生折り返してしまったから、年々老いていくから、時間は限られていくから、焦る気持ちがないわけではないけれど。あれもこれもと欲張らず。と、思う。

 さて。
 百か日を過ぎて、そんな日々を過ごしているが、かといって、本当にしたいこととか本当にほしいものとか個人的な欲はどこにあるのか自分でわからない。
 何もほしくない気もするし、何もやりたいことはない気もする。
 とりあえず・・・。こんな思いを書き残せる場所がここにあることに感謝して。こんな思いを読んでくれてコメントを寄せてくれる人がいることに感謝して。

 そんなわけで、自分の思いを整理するためだけのような文章に最後まで付き合ってくれてありがとうございました。これからもよろしく・・・です。
 
 

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2008.05.12

百か日を終えて・・・②

 心臓が止まってしまった義母の元へ駆けつけ、義母を呼んだ。もう、深夜から呼んでも答えはしてくれなかったが、本当に息が止まってしまったのだなと、こみ上げるものをこらえることはできなかった。
 まるで、本当の母を亡くしたように哀しくて寂しかった。何度も何度もその髪を、その頬をなでながら、ただ、泣くしかできないものだ。

 けれど、亡くなってしまったら、急に時間は動き出す。葬儀の段取り、死亡の手続き、親戚筋・会社関係・学校関係への連絡。急なことだったから家の掃除から、いろんな道具類の手配。
 一人っ子の旦那さんゆえ、親戚づきあいを疎遠にしていた義父母ゆえ、段取りがわからない。私は特に義母から何も教わってなかったので、最近の親戚の法事や葬式の流れを思い出すしかなく、なにを用意してなにを段取りしていけばいいのかまったくわからなかった。
 親戚筋も自分の実家も宗派が違い、里のしきたりとは違うので、大まかなことは参考になっても、やはり細かいことはよくわからない。
 後で考えれば、「向こう三軒両隣」という付き合いをしている里のこと、お隣の奥さんなどに詳細を聞けばもっと段取りも楽にできたのだろうけれど、その時はそんなことは思いつきもせず、ばたばたしていた。
 家の中も片付けたとは言え、それは義母を介護するための片づけだったから、葬儀関係の道具類がどこにあるかなどはよくわからず、それを探すのも大変だった。
 お寺さん用の座布団・湯飲みから、集まってくれる人々に出す食器類、座布団、枕経をあげてもらうための道具類、すべてがどこにあるのかを探さなければならなかった。義父の「老い」を痛感する瞬間だった。

 この時に、自分は胸痛と頻脈で救急外来を受診したわけだが、その時は「頼りの義父はまったくあてにならず、誰にもヘルプを頼めない~。」と、気を張っていたのだろう。
 義父母のことで、いろいろ含みのあった義父側の親戚も、義父の頼りのなさと私達夫婦の必死ぶりとに驚いて、翌日には遠慮がちではあったけれどあれやこれやとアドバイスをくれるようになった。
 まったく、ありがたいことだと、心底感謝した。とにかくわからないことだらけなのだ。法事関係を何度も経験しているおばさんや従兄のお嫁さんたちのアドバイスが頼りとばかり「おせっかいと思わず、何でも教えてください。後からでも今すぐでも先回りしてもいいからあれもこれも一から十まで、何でも教えて。」と頭を下げた。
 そのせいか、お通夜が終わり葬儀が終わり、初七日を終えた頃には、ぎこちなかった親戚がずいぶんと打ち解けて話してくれるようになった気がする。(49日の法要の時にはすっかり親しくしてくれ、続けてあったおばの三回忌の時にもずいぶんと気さくに接してくれるようになって、ありがたく思っている。)

 湯灌の時、葬儀屋さんから思ったよりも若いスタッフが事に当たってくれた。死んだ人は重いだろうに、若い女性と男性スタッフの二人はもくもくと丁寧に仕事をこなしていく。親族が最後にお湯をかけ、身を清め、死に装束に着替えさせる。
 その姿を見ていても泣けてきて仕方ない私に、女性スタッフが一緒に着せてあげてくださいと足袋を履かせるのを手伝わせてくれた。壊死を起こしていた足に足袋を履かせる。「もう痛くないねえ。」と言葉が出て、何度も撫でて「頑張って極楽まで歩いていくんだよ」と声をかけた。

 お通夜も葬儀もたくさんの人がお参りに来てくださった。約200人あまりの方がお参りに来てくださり、本当に感謝している。
 旦那さんの会社関係の人が多く来ることがわかっていたので、私は自分の友達には本当に最小限しか連絡しなかった。比較的近場に住む親友と、先年父上を亡くした近所の友人(こちらは葬儀に出させていただいたし、友人家族だけでなく、その母上様とも懇意にしていただいているので)にだけ連絡した。寒い夜だったけれど、お通夜に来てくれてありがたかった。
 旦那さんのジープ仲間もたくさん来てくれて、久しぶりに会う彼らの顔を見て、年の流れを感じたりして・・・。

 お通夜も葬儀も立派にしていただいて、息子大事だった義母は喜んでいるだろうと思った。棺に横たわった義母は、従兄のお嫁さんにきれいにお化粧してもらって、病んでなくなったとは思えないほどしかっりした顔つきだった。
 今にも起き出して何か言うのではないかとそんな風に思える。そこに棺はあるのに、集まった家族の中に義母がいないことが不思議で、家に帰ったら「留守番していたよ」と義母がいるのではないかとそんなことを思ったりもした。

 お経を上げている最中も、棺の顔を見ているときも、後から後から涙があふれてきてどうしようもなかった。
 あわただしく葬儀の準備や弔問客の相手をしているときはそうでもないし、その場を離れてしまえばまた違う。けれど、読経が始まると義母を思い出して泣けてくる。
 もう、いないのだなあ・・・と、もう、傷の手当ても病院の付き添いも、晩ご飯の用意もお風呂の介助も、全部、全部、することはなくなるのだなあ・・・と。

 3人いる義母の姉弟で、死に目に会え、お通夜も参列できたのは、伊勢の叔父だけだった。死に目に会えなかった、一番仲良くしていたすぐ上の姉に当たる叔母は、お葬式の当日、棺の中の義母を見て「自分より先に逝っちゃって・・・。」と泣いていた。
 葬儀も終わり、棺に花を敷き詰める。眠ったような義母の顔。本当に不思議だった。

 焼き場へ行って、これが最後のお別れという段になっても、今行われていることが事実と思うのは不思議な感覚だった。花に囲まれて眠るような義母は静かに焼き場へと入っていった。

 お通夜もお葬式も焼き場で待っている間もそうだったけれど、従兄の子ども達が小さいものだから、きゃあきゃあとそこらじゅうを走り回っている。「じじババの葬式は孫の祭り」とこの地方ではよく聞く言葉だが、本当にそうだなと思って子ども達を見つめる。幼い子ども達は誰が死んで誰が哀しんでいるのかもわからないのかもしれない。

 突然とは言え、一般的に見たら歳相応にあの世に逝った義母。誰も彼も寂しいと思いこそすれ、引き裂かれる別れではなかったからか。
 先年なくなった叔父も歳相応だったから、今と同じような雰囲気だったことを覚えている。それに引き換え、交通事故で突然亡くなってしまった叔母の葬儀は、誰もが沈痛な面持ちで言葉すくなだった。

 義母は亡くなる前の日まで壊死した足が痛み、本当は泣きたいくらいつらかったに違いない。治療をすれば悪くはならないが、良くはならないことも漠然とわかっていたのだろう。こんな痛みから逃れるためなら、こんな情けない思いから逃れるためなら、早く死んだほうがましだとこぼしていたし・・・。
 後からも何度も思ったけれど、そんな義母を思うと、このタイミングであの世へ逝けたことは義母にとっては幸いだったのかもしれない。そんな思いが家族の中に少なからずあるせいか・・・。

 焼き場から出てきた義母はきれいに骨になっていた。しっかりした体格の人だったからか、骨もしっかりと残っている。
 人は死ぬとこうなるのだな・・・。ただ、寂しいとそればかりだ。
 旦那さんは骨になった義母を見て、どこかすっきりしたと言っていたが、私はちょっと違うなと思った。
 ただ、無性に寂しい。哀しい・・・と言うのは少し違う。できることはなんでもしたし、自分の怠惰さに負けないよう頑張った。真実、義母の本当の気持ちを知ることもわかることもなかったろうけれど、せめてその心に寄り添えるように頑張った。

 いないことが寂しいと、心底思う。

 ああ、人は、ただそこにあるだけで、本当に素晴らしいのだと、心から思う。

 義母は旅立って逝った。苦しみも痛みもない世界へ。願わくば生前の一番きれいだった、一番元気だった姿で、後から逝く義父を迎えてあげてほしいと思う。

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2008.05.11

百か日を終えて・・・①

 義母の百か日を9日に終えた。家族だけでつつましく行うつもりだったが、近所に住む叔父(義父の妹婿)が、皆に連絡するものだと言って、叔父本人と母家の跡取りがお参りに来てくれた。
 たまたまなのだが、義母の49日が3月にあったあと、叔母の三回忌が4月の半ばにあり、叔父の三回忌が7月半ばにある。そして、義母の初盆が8月の中ということで、法事が立て続けになってしまう。ただでさえ、法事の時は一日つぶれるわけだし、それぞれ他にも付き合いがあり、また、法事と言えば、何かと物入りでもある。
 里は初盆は結構派手に法事を行うが、百か日はその家それぞれのやり方で家族だけで行っても問題はないとお寺さんにも聞いていたので、いろいろと考慮して、うちはどこにも連絡はしなかった。が、近所の叔父は、時々、義父の様子を見に来てくれていたので、百か日のことも知っていてそう教えてくれたのだった。
 上記のような理由を言うと、そういうこともあってもいいと納得はしてくれたが、やはり知っているのに来ないわけにはいかないと、母家の跡取りと共に来てくれたのだった。

 さて。
 実は、義母の死んだ時の様子を1週間くらい後から書きとめておこうと、下書きをしていた。それをブログ上で公開するかどうかは考えていず、とりあえず覚書として書いていた。
 それを書いてからすでに3ヶ月たっている。今、読み返しても涙が出てくるが・・・。
 本当は、もう、それ以上を書くのも公開するのも止めておこうと思っていた。けれど、アクセス解析を見たり、コメントやメールをして下さった内容を見ていると、やっぱり残しておこうと思い直した。
 人の「死」と言うのは何かと物を思うものである。たいしたことは何も考えられずにいるが、それはそれで正直でいいのかもしれないと、ただ、あったこと、思ったことを淡々と記することにする。

 以下、文章を分けてアップするが、先ずは、義母が亡くなる当日の深夜の出来事から・・・。

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 下記の文章を書き出したのは、義母が亡くなってから一週間過ぎた頃。その頃は、実家へ行って、白木の祭壇にかかっている義母の遺影を見るのがとても不思議だった。家に入っていくと「よう来てね。」と義母が声をかけてくれる気がした。

 1月31日深夜。午前2時過ぎに義父から旦那さんの携帯に電話があった。「苦しいから救急車を呼んでほしいと言っている。」と言うのだが、どこがなにが苦しいのか、義父も気が動転していて要領を得ない。義母が話せるかどうかを聞くと受け答えはちゃんとすると言うので、「どこが苦しいか聞いてもう一度電話して来い。」と旦那さんが義父に言っていた。
 私は初め、旦那さんへの電話は会社の誰かから仕事の話しかと思っていた。話が進むうちに義父からだとわかり、「大丈夫?」と問うと「わからない」と旦那さんは言った。
 5分もたたぬ間にもう一度電話がかかってきて、「俺ではどうしていいかわからない。」と義父は言う。「じゃあ、とりあえず、すぐに行くからな。」と服に着替えてすぐ家を出た。

 夜中のことなので実家までは10分もかからずに行ける。家に着き、義母のそばまで行くと、呼吸は普通にしていた。
 呼びかけても反応がないので、低血糖かと思い、声をかけながらブドウ糖を口に入れ、水を飲ませる。最初の一口は確かに飲み込んだが、2口目からは飲み込む気配がない。「聞こえていたら手を握って」と声をかけても反応がない。
 「意識がないぞ。」と義父に言うと「さっき、お前らが来るぞと声をかけたら、頷いて返事したぞ。」と言う。詳しく話を聞きだすと、最初に電話をかけてきた30分ほど前にトイレに行きたいと起きてきた義母を義父がトイレまで付き添い、ベッドに帰ってきたら、「足が痛い、苦しい。」と言って横になったそうだ。そして、あまりに痛がるのでどうしたのかと聞いたら「苦しいから救急車を呼んでくれ。」となったらしい。
 2回目の電話を切って、すぐに「来てくれるから少し我慢しろ。」と言ったら、ウンウンと頷いて「来てくれるんやな、良かった。」と返事をしたと言う。

 5分たっても意識が戻ってこないので、すぐに救急車を呼んだ。とっさに旦那さんが義母の目をライトで照らしたが、瞳孔が動かない。その間、ほぼずっとそばにいたが、義母はまだ呼吸をしていた。
 5分たつかたたないかの間に救急車は到着し、義母を運んでくれる。救急隊員に運ばれ、救急車内ですぐに心拍数や血圧を測るが、その時には心臓が停止していた。
 同乗していくのに、助手席に座ると「心拍停止のため、心臓マッサージを行います。」と告げられる。AEDの準備ができるまで隊員の一人が手で心臓マッサージをし、救急病院へつくまで、ずっと心臓マッサージは続いた。
 ERへ運ばれる途中も、途切れることなく心臓マッサージは続けられた。緊急処置室へ運び込まれ、医師や看護士に手渡されても引き続いて心臓マッサージは続けられていたようだ。

 5分、10分ほどして、担当してくれた医師が「万が一も考えてください。人工的に息を続けさせ、生かすことはできますがどうされますか?」とたずねてくる。なんだか信じられない思いで「一人では判断できません。せめて義父と主人が来るまで生きていてほしい。」と答えるのが精一杯だった。
 それから10分くらいして義父と主人が駆けつけた。心拍停止のため心臓マッサージをしながら運ばれて、医師から言われたことを告げると、義父も旦那さんも信じられないと言った顔をしていた。
 そりゃあ。義父と私にしてみれば。昨日の朝は、普通にしていて、病院も一緒に行って、お昼ご飯はサンドイッチをおいしそうに食べて、夕ご飯はお刺身を「おいしいねえ」と言って食べて。今日は病院に行ったから、痛い消毒はもうしなくていいねと言ったら「いつもありがとうねえ。」と笑顔をくれたのだ。「明日も夕方に来るからね。頑張っていてね。」と言ったら「うん、頑張らないとねえ。」と言っていたのだ。普通にそうして一日が過ぎて行ったのに。

 どのくらい時間がたったか、義母を運んでくれた救急隊員の人が「ご自宅からこちらまでできることはすべてさせていただきました。今、医師が診てくれていますので、もうしばらくお待ちになっててくださいね。我々はこれで失礼いたします。」と挨拶に来てくれた。
 前回はこんなことは言われなかった。それだけ、義母の容体はよくないのかと、つらかった。
 それからしばらくして、ちょうど当直だったと言う心臓外科医が経過状況を教えてくれた。
 「糖尿病と加齢による動脈硬化が進んでおり、それが原因で心臓の弁が非常に固くなっています。そのせいで、血液を送り出すのに心臓に大きな負担がかかったと思われます。」と言われ、旦那さんが「意識がなくなる30分くらい前にトイレに行った。」ことと「救急隊員が来るまでは息をしていた。」ことを話す。
 もしかしたら、トイレに行って急に寒いところに行ったこと、救急車まで運ばれる間に外気に触れたことが原因の可能性が高いかも知れないと、思い至る。
 「強心剤などを使い心臓を動かし、人工呼吸器を入れ、生かすことはできす。心臓が停止していた時間は短い方ですが、意識が戻る確率は非常に低いと思われます。また、お年と既往歴から判断すると、意識が戻ってもご自分の体力で心臓を動かすことは難しく、それによってご本人の望まれない結果になる可能性はとても高いと言わざるを得ません。」と、そのような内容のことを医師は私達に気を使いつつ、ゆっくりとわかりやすく言葉を選びながらそう話してくれた。

 お正月がすんでから、左足の傷がひどく痛み、とうとう壊死を起こし始めていた義母。痛くて痛くて、その苛立ちから義父に悪態をついたり、ものすごく落ち込んだり、苦しんでいた義母。それでも、足を切りたくない、この家から出たくないと頑張っていた義母。入院は絶対イヤだと、痛いのに痛いと言うのを我慢していた義母。
 そんな義母を思い起こすと、可能性のない延命措置を行うには忍びなく・・・。義父も旦那さんも、自然に任せる事を選んだ。
 「今日(31日)の昼が峠です。それを乗り越え小康状態になれば、数日。それを超えれば時間はわかりません。けれども、こう話しているうちにも心臓が止まる可能性も充分考えられます。会わせたい方がいらっしゃるなら、すぐに連絡して来てもらってください。」と医師は言った。
 
 時間を見ると午前5時前。家を出る前に目を覚まして様子を見に来た長女に行ってくると言葉をかけたけれど、こんなことになっているとは知らずに眠っているだろう。
 それでも、早ければそろそろ長女は起き出してくる時間だったので、旦那さんが電話をして子ども達を迎えに行った。
 その間、看護士が入院のために、日頃の様子や既往歴、通院していた病院などの説明を義父と二人でする。いつ亡くなってしまうかもしれない義母のために、看護士はいろんなことをきめ細かく聞いてくれた。

 午前5時半ごろ。子ども達がやってきた。意識のない義母を見て、二人とも涙ぐんでいた。
 午前6時をまわって、実家の両親や義母の姉弟、義父の親戚に連絡をする。長い廊下に朝日が差し込みはじめる。オレンジ色の太陽の光が廊下を染めて、とてもきれいだった。
 病室を整えてもらっている間に、担当医師からもう少し詳しい説明を聞いた。義母の症状は大動脈弁膜症と診断された。もし、もっと早くに自分のような専門医が診察していても、早かれ遅かれ同じような症状に陥っただろう、もたせてあと2、3年。と医師は言った。
 秋口に入院した時。かかりつけの医師が、義母の体力・内蔵機能は実年齢より10歳上だと思ってくれと言っていた。認知症と糖尿病、脳梗塞に甲状腺。それらを考え合わせると、いつどうなるかもわからないとも言われた。
 覚悟はあったものの、こんなに早く・・・と思う。足を切断してまで生きながらえてくれるとは思わなかったけれど、せめて一年。せめて夏まで。せめて春まで。そう思っていたのに。

 義母の姉弟は近辺にはいない。おまけにすぐ上の姉に当たる人は、ご主人が介護が必要な身の上なので急には来れないと言う。一番下の弟がご夫婦で伊勢から駆けつけてくれた。
 義父の親戚はみな近くにいるので、おじ達は出勤前に来てくれたし、一緒に来てくれたおば達は結局最後までいてくれた。
 旦那さんと二人、ずっと義母のそばにいた。意識がなく、人工呼吸器で生かされている義母だったが、声は聞こえているからと、いつものように話しかけた。
 私一人になった時、義母の頭をなでながら、「ありがとう」と話しかけてた。「旦那さんを産んでくれてありがとう。立派に育ててくれてありがとう。結婚させてくれてありがとう。娘にしてくれてありがとう。介護させてくれてありがとう。親孝行させてくれてありがとう。」いっぱいいっぱいありがとうを言った。

 と、ここまで読み返してやっぱりまだ泣けてくるなあ・・・。

 どちらにしても義母はもう行きつけの病院にも通うこともできないだろうし、デーサービスも利用できなくなる。とりあえずケアマネージャーに電話をして、経過を説明している途中、長女が呼びに来た。
 それこそ、糸が切れたみたいに心電図の動きがなくなったみたいだった。

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2008.05.04

速くてびっくり・・・・

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昨日は、京都へ行って来ました。
新名神が開通したので、そちらを利用しましたが・・・。いやあ、速い!びっくり。以前なら、速くても2時間半、平均3時間はかかっていた道のりが、なんと1時間半。で、ETC利用なら、早朝の割引を使って1000円前後の高速代(利用インターで400円くらい差が出るので・・・)。
街中も100円パーキングがあちこちにできているので、それらを上手に利用すれば、駐車料金も安くなるし・・・。
そんなわけで、今回はいつもどおりでかけた割りに、時間的にゆっくり過ごせました。
午前中は、友達に会って、伏見さんにお参り。友達のお母さんのお墓参りしたり、お話ししたりしている間、だんなさんと下の子は伏見さんの御山へ登っていたのですが、日頃の鍛錬不足からか「膝が笑ってる~~」と下の子は言っていました。
昼からは祇園界隈を散策し、その後、街へ出て軽くお買い物。
いやあ、たまに行くからこそなのでしょうけれど、やっぱり京都はええなあ・・・でした。

1枚目の写真は伏見さんの奥社の社殿。2枚目は鬼瓦がいっぱいで、いかにも「どや!!!!」みたいな写真です(笑)

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2008.04.19

にゃあ

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2008.04.11

春ですが・・・

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 なんだか、天候不順ですねえ。春の嵐?春一番?そうかと思えば初夏の日和。喘息持ちにはなかなか気を使う日が続きます。

 前の日記からずいぶんと経ってしまいました。義母の49日も終わりました。法事のときは、あれほどしきたりとか家の存続とか仏事のことにやかましかった義父が、なかなかぶっ飛んだ発言や行動をしてくれて、今さらに義母を先に亡くした義父の老いを感じました。
 その義父も、来週からは介護保険を利用したディケアサービスを始めることとなり、少しは気晴らしになって刺激になってくれたらいいなあと思います。
 
 季節も移り変わり、雪をかぶっていた山脈も緑を増し、行き道の草木も春の装いになっています。
 桜も雨や風のせいで花が散り、アスファルトの上を転がっています。菜の花も今を盛りと咲き誇り、黄色いじゅうたんのようです。

 下の子も内定の決まっていた高校に無事入学し、新生活がスタートしました。慣れない満員電車に今週は疲れた様子。でも、デザインの専門課程がある高校に進学し、どんな生活になるのか、ドキドキとわくわくな時期な気がします。

 上の子は高校3年生。大学進学を目指しているので、2年生の学年末は頑張って好成績だったし、3年生もがんばると言っています。指定校推薦とかではやばやと決まると気分は楽ですが・・・。

 長いこと春休みでだらだらとゆっくりした朝でしたので、新学期がスタートして起きるのがつらいつらい(笑)
 来週からは、お弁当つくりもはじまるので、気合いを入れなおして早起きしないとね(^_^;)

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2008.02.25

うちの子はみんな男前(笑)

Dsc02520  義母が亡くなって三週間が過ぎ、もうすぐ一ヶ月たとうとしている。早いものだ。
 冬場だから花の持ちが良く、お葬式のときの花がまだ健気に咲き続けてくれている。49日の頃にはさすがに枯れてしまうだろうから、何か花を用意したいなあと思う。女性だもの。花が好きな人だったし。たくさんの花に囲まれたらきっと嬉しいと思うだろうなあ。
 好きだったものときれいな花をお供えして、仏様になる日を迎えてあげたいなあと思う。

 最後の方は、いつ足を切ると診断されるかと、義母と二人でドキドキしながら通院していた。
 でも、もし、足を切る、と言うことになっても完治しないと言われていたし、本当に切断してしまえば、長いこと入院もしてもしかして家に帰れなくなったかもしれない。
 家に帰れても多分寝たきりで、そのうち認知症が進んで、本人にも家族にもつらい日が来たかもしれない。

 そう思うと、あんなに入院がイヤでずっと家にいたがっていた義母が、最後の時だけは病院ではあったけれど間際まで家で過ごせ、足を切ることもあんなに怖がっていた義母が、結局は切らずに五体満足で旅立てたことは、不幸中の幸いと言うべきか。

 一人残った義父は、寒いのもあって、外へも行かずに家で過ごしている。時々、近所の人が来てくれるが心が晴れることはないだろうなあと思ったり・・・。
 義父にとっては急なことだったから、気が抜けたようになっているのだと思う。すっかり足が弱ってしまって、立ち上がるのが大変そうだ。
 仲良しのご近所さんが少し前に軽い脳梗塞で入院して、介護保険を利用してリハビリがてらデーサービスを利用しているのを聞いて、自分の介護保険の申請を受ける気になってくれた。
 明日はその聞き取り調査の日。この期に及んでかっこつけていいことばっかり言っては意味がないので(笑)、立ち会うことにしている。

 義母が亡くなって10日後にやってきた柴犬は、毎日見ているとわかりにくいが、やはり少し大きくなったかな。でも、もともと大きなとらさんの方がまだ大きいし重い。
 それにしても、うちの子はみんな男前だにゃ。

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2008.02.24

雪でした

200802240627000_2  昼前くらいからお天気変wobblyだなあみたいな。病院から出たら雨rain降ってる?いや、時雨cloud?みたいな。
 夕方から降ってくる降ってくる。雪snowですよ。最近温かだったけど、もう1,2回はくるだろうと思っていたら、やっぱり来ました。
 実家から帰るとき夜10時ごろだったけど、10センチ近く積もってた。フロント硝子の雪がいっぱいだったので、水で流そうと思って旦那さんが水道ひねったら、ホースの水が凍っていてbearing
 写真は今朝6時半頃のお外。今は晴れていて、雪は残っているけれど、道路の雪はもうない感じ。
 一晩これだけ積もっただけでびっくりcoldsweats02だけど、雪国の人はこんなの序の口なんだろうなあ。いや、暑いのはいやだけど、雪の深い地方の方々は春や夏が待ち遠しいんだろうなあ・・・。

 先週の血液検査の結果が出たので病院hospitalに行ってきた。まあ、なんともなかったので一安心。内臓系も異常数値なしだったscissors
 先生いわく「よっぽどお疲れがたまってたんだねえ。とにかくゆっくりゆっくり休んでください。」とのこと。自分では平気のつもりだったけれど、歳には勝てんってことだろうか(^_^;)
 時々は、眩暈や胸痛頭痛があるので、そんな時はまだ頑張れる!と思っても、頑張らないことにした。(そうしたら、物事が進まなくてイライラgawkするんだけど(^_^;)
 仕事はいい加減にすることはできないので、バイト先では頑張るけれど。
 義父もほってはおけないけれど、何もできない人でも目を離して危険があるわけでもないので、よっぽどえらい時はご飯のこと以外はしないようにして。(男だからなのかもしれないけれど、うっかりしていると祭壇の花がしおれてしまっていたり、祭壇のお線香立ての周りが灰で汚れていたり、祭壇周りが埃だらけだったりdespair
 掃除も洗濯も料理もとりあえず家のことは最低限。なので、今、うちに遊びに来るともれなくにゃんこの抜けた毛と埃とワンコの匂いにパンチくらいます。(んでも、これって喘息にスッゲー悪いんだよねbearing掃除だけはしなくちゃ~~~と頑張ってますが・・・。)

 しかし!寒い!この寒暖の差はなんとかしてくれい!喘息に悪いじゃないか!薬飲んで吸入しても追いつかんgawk

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2008.02.15

一人で・・・

Dsc02508 Dsc02512  早いもので、義母が亡くなって2週間になる。あっという間の2週間で、実家へ行くたびに義母がいないのが不思議な感じだ。

 義母が亡くなった前後の話は、またここへ書くこともあるかと思うが、なかなかうまくまとまらない・・・。

 さて、義母がなくなった日の夜。睡眠も食事も満足にとっていなかったせいか、疲れがでたのか、突然、頻脈と強い胸痛におそわれた。
 ちょうど枕経をあげている時だったので、騒ぎ立てるわけにもいかず、旦那さんの従兄のお嫁さんが看護士だったことを思い出し、症状を訴えた。
 しばらくしても治まるどころか、胸の痛みが増すばかりで、背中や左肩まで痛い。従兄のお嫁さんは脈を取ったりいろいろしてくれたが、病院にいった方がいいと判断して、市立病院の救急外来へ連れて行ってくれた。
 その頃には歩けないほど胸が痛くて、話はできても、その間に「痛い」と漏れるくらいだった。
 座っていても立っていても横になっていても痛くて、動悸が激しいのが自分でもよくわかった。
 症状が出始めてから診察を受けるまで40分ほどあったと思う。すぐに心電図をとることになったけれど、痛くてじっとしていられなかった。
 看護士が血圧を測るのに、右の二の腕を取ったのだが、胸の痛みに動いた瞬間、少し強く腕を握った。そのとたん、その部分がものすごく熱く感じて、その熱さが上半身を巡るような感じがして、急に動悸が治まっていった。と、同時に胸の痛みも嘘のように消えていく。
 あとで確認したけれど、薬の投与もマッサージのようなこともしていないということだった。

 1時間ほど休んでいると、普通に楽になってきて、動悸も痛みも感じずにいられた。念のため、レントゲンとCTを撮り、血液検査をしてもらった。
 当直の医師によれば、それらの結果に異常はなく、特に処置もすることはないようだという診断だった。様子を見ながら、異常があればすぐに診察を受けることと言われて、家に帰ることになった。

 その後、お通夜や告別式、初七日などを済ませたが、特に異常もなく過ぎていった。
 週明けて月曜日、市立の循環器科を受診する。さらに心電図とエコーを撮ったけれど、現時点での異常は認められず、2,3ヶ月様子を見て、何もなければ大丈夫と診断される。

 それからしばらく、発作のようなことは起こっていない。ただ、やはり疲れているせいか頭痛や倦怠感が抜けない。
 それで、今日、前に義母が通っていた病院で簡単な健康診断を受けることにした。
 胸部のレントゲン・CTは撮ってあるので、頭のCTを撮ってもらい、血液検査を受けてきた。血液検査の結果は来週に出るが、やはり現時点では異常はなく、疲れがたまっているのだろうと言うことで落ち着いた。

 診察してくれた医師は、義母の主治医だった医師で、義母が亡くなったことを告げると、急な話に驚き残念がってくれた。
 義母は病院嫌いだったが、主治医は穏やかで優しい人だったので、義母はこの主治医が好きで、病院通いも嫌がらずにいた。
 行くたびに、少しでも良くなっている部分を見つけては褒めてくれ、もっと良くなるように励ましてくれて、注意すべきところはきちんと話をしてくれていた。
 本当なら、亡くなったすぐの土曜日は、主治医の診察の日だったのだ。主治医もその日に来なかったので心配していたのだと言っていた。
 「だんだんと元気を取り戻して、自分で歩いてきてくれていたのに・・・残念やなあ・・・。」とつぶやいておられた。

 いつも義母に付き添って通った病院。一人で同じ待合席に座っていると不思議だなあと思う。
 受付の顔見知りの事務員さんも義母の死を告げると絶句して、涙を浮かべてくれた。

 寂しいなあ・・・と思う。
 
 死んだら、動かなくなって、焼かれてしまって骨になって、いなくなるのは知っている。
 死んだら、その魂は、あの世とやらへ行って、いなくなってしまうのだと知っている。

 でも。死んだらどこへ行くのだろうなあ・・・。
 死んでも見守っていてくれるよと思うけれど。どこにいるんだろうか。
 いつもの服を着て、お気に入りの帽子をかぶって、杖をついて「よいしょ、よいしょ。」と歩いていた義母が見えるような気がするけれど。
 どこにいるんだろう。どこへ行くんだろうなあ・・・。

 義母が生きているときに、認知症の症状が緩和するかもとか、一緒にいたら気もまぎれるだろうかと、室内犬を飼うことを考えていた。
 義母には間に合わなかったが、しばらくは一人でがんばりたいと言う義父とみんなで一緒に散歩ができるようにと、柴犬を買うことにした。
 黒い柴犬で男の子だ。生意気に血統書があって、「将平 号」(まさひら)と名づけられている。
 まさひら、って言う語感が平安時代ぽくって、名前はそれに決定した。普段は「まさ」と呼んでいる。
 暖かくなったら、みんなで散歩に行けるよう躾中。

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2008.02.02

永眠いたしました。

 1月30日の自分の日記を読んで・・・涙が出てくる。あの日記を書いた時は、今までの日常があと何ヶ月かは続き、義父母がそろって生きている時期がまだまだ続くと思っていたのに。

 詳細は、また書くこともあると思うけれど。
 容態が急変し、義母は1月31日午後1時5分に永眠いたしました。
 この日記でいろんなことを書いて、その度にみなさんからいろんなコメントをいただきました。
 とりあえず・・・ですが。

 義母にありがとう。
 みなさんにもありがとう。

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2008.01.30

とりあえず・・・

Dsc02494  週一回の血管外科の受診。義母の左足はすでに薬指が壊死を起こしていて、指先が黒く変色している。指と指の間も癒着しないようガーゼを施しているが、潰瘍ができたりなくなったり。
 週3回の血管注射が効いているせいか、毎日の消毒が功を奏しているのか、急激な悪化がないところが救いかな。
 診断は、「このままの状態で維持できるなら、足の切断はないです。他の指に壊死が広がったり、化膿して熱がでたり、現在壊死している指の付け根などの痛みを感じなくなったら、その時は切断となります。なるべくその事態は避けたいので、週一度の診察は必ず受け、週3度の注射は欠かさないようにしてください。」と言うことだった。
 血管注射を打ってもらうと、血管が広がり血流がよくなるからか、それで神経が過敏になるのか、注射をした日は特に痛みを訴える。あまり飲みすぎてはいけないと思うのだけど、頓服に頼り、痛みをやり過ごしている。

 先週金曜日、義父がとうとう脳神経科を受診した。ここ2、3ヶ月、物忘れがひどく、それが年齢によるものではない感じだったので、前々から受診を進めていたのだが、義父はそれを拒んでいた。
 けれども、年明け早々、義父に任せて義母の足を悪化させたことで、義父自身が不安を感じたようで、何十回目かに旦那さんが言った「行くぞ」にYESと返事したのだ。

 認知症の問診を行い、脳と海馬のCT撮影をした。
 義父は会社に勤めていた頃は経理にいた。計算は昔から得意で、今でも計算は間違うことはない。自分や義母や旦那さんの生年月日もすらすら言えるので、自分では大丈夫と思っていたらしい。
 が、今あったことを覚えていられない。医師との会話で3つの単語を覚えてくださいと言われ、しばらく雑談や昔のことをたずねられたあと、その3つを聞くと覚えていなかった。今日の日付やその時のだいたいの現時間も答えられず、野菜や動物の名前も3つくらいで続かない。
 CT撮影の結果を見れば、脳や海馬が縮んでいるのがわかる。このまま放置していれば、近いうちに本格的にアルツハイマー病の扉を開けていただろうと言われた。
 今なら、進行を遅らせる薬を飲み、外との繋がりを積極的に持つことで、進行は驚くほどゆっくりとなり、日常生活も普通にこなせるだろうと言うことだった。

 とりあえず・・・。
 現状維持の日々が続く。一番心配なのは、義母が足のことや糖尿病のことで入院となってしまう時のことだ。
 義父を一人にしておくのは不安だし、何より、配偶者が目の前からいなくなってしまうことで、義父の認知症の進行が早まりはしないか。反対にしっかりしてくれれば良いけれど・・・。
 そして、入院することで、義母の認知症がひどくなりはしないか。足を切断となった時、義母のことだから、寝たきりになってしまう気がするし。
 同居を考えもするが、寝たきりになった義母と認知症の義父の二人を介護する自信は先ずない。では、どうするか・・・。だけれど。
 まあ、まだ、当分は今のままで暮らせるのだから、あまり過剰には心配したくない。けれど、どの道をどの方法を選ぶにせよ、覚悟だけはして明日からも頑張るしかない。

 と、書いてしまうとかなり深刻な感はぬぐえないのだが、今はいたってのんびりしたものである。いろいろと批判はあれど、介護保険のおかげで、ずいぶんと助かっているし。また、介護や認知症についての周りの認識が一昔前に比べて、格段に深まっているおかげで、その大変さや深刻さを理解してくれているし。
 また、今のバイト先が、義母のそういう状態を説明すると、充分に介護をしてあげてくれとそちらを優先してくれるのも、ものすごく助かっている。

 足が痛くてうなっている義母や、足元から忍び寄る老いと病魔の不安と必死で戦っている義父を見ていると、なかなか辛いものがあるが、私自身はまだ、周りやいろんな人のおかげで平常でいられる。とてもありがたく。言葉で表せないほどの感謝でいっぱいな毎日だ。

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2008.01.23

なんとか・・・

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 本日、義母の週一度の血管外科の診察日。加えて、脳神経科も受診してきた。先週土曜日には内科も受診。
 結論から言うと、糖尿病は何とか悪くならずにすんでいるようで、他の内蔵の機能も著しい変化はないと言うことだった。今日の脳神経科も悪くはなってないと言うことで、現状維持を心がけるようにとの指示。血管外科の方は、とうとう左足の薬指が壊死を起こし始めたとの診断。「うお~~、切断か~~!!??」と、一瞬思ったが、「まだ化膿していないし、傷口もきれいなので、絶対この状態を維持すること。万が一ばい菌が入り、化膿してしまうと、切断は免れない。切断する時は膝から下を切ることになる。」と診断され、一息つくやらびびるやら(^_^;)
 とにかく、首の皮一枚で繋がっている・・・みたいな気になってしまったけれど、なんとか現状維持していける可能性は残された。

 「ほんまにも~~、わがままはいいかげんにしなはれ~~」と思いつつ、「つらい」を連発し義父に悪態をつく義母を励ます毎日である。
 頑張れ義母!頑張れ義父!

 ところで全然関係ないけれど、一枚目の写真はこの間のわんことにゃんこ。にゃんこは写真に写っている毛布で寝ていたが、写真撮りに近づいたら起きちゃった。
 2枚目は朝の山脈。少しだけ雪をかぶっているけど・・・わかるかな?

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2008.01.20

スムーズな介護をするには?

 で、義母の足は・・・。どんどん悪くなっているような気がする。
 先週水曜日に血管外科を受診した時に医師から「足の怪我も多分治らないでしょう。動脈硬化も良くはなりません。何もしないで放置しておけば近いうちに確実に切断ですし、指だけ切断しても術後の傷は治りませんから、切るとなると大事になります。今は、まだ、何とか持ちこたえそうなので、毎日の消毒と週3回の注射をして、悪くしないことが大事です。」と言われる。

 ベストな状況を、ベターな状況をと、願う私たちの願いは、なかなか義父に受け入れてもらえない。
 極端な話し、義父や義母の気持ちを無視して助けようとするならば、義父から隔離して入院させるのが一番だろうと思う。そうすれば、糖尿病の管理もでき、足の怪我や動脈硬化の悪化も防げるだろう。入院先へ認知症のリハビリ?も依頼すれば、こちらの進行も悪化はしないと思う。

 義母の病気だけに関して言えば、義父の覚悟のなさがこの事態を引き起こしている。
 けれど、田舎の新家(次男坊)で親の援助をあまり受けず、二人だけで何もかも築き、病弱だった息子(旦那さんのことね)を育て上げ、今は近くに息子家族が住み週末になると遊びに来て夕食を一緒食べる。元気の良いうちはお互いに干渉しあわず、好きに過ごして、困った時は家族で乗り切る。老後は夫婦で穏やかに隠居生活を過ごす・・・。そんな「夢」を実現しかけて、80歳を前に挫折してしまった義父の覚悟のなさを責めることはできない。

 義母のことにしても、どこかへ出かけるとか買い物をするとかそういうことが好きでなく、家で穏やかに過ごせればそれでいいという、本当にささやかな願いを、病気だからと言って安易に入院して壊したくなかった義父の気持ちもわかるし。もう少し、義母にも気力を持って、今の状況と戦ってほしいのだろうなあとも思う。

 実際、義母は気力を失っているし、でも、痛いこと苦しいこといやなことからは必死で逃げようと子どもじみた嘘や理屈や言い訳で事を回避しようとしているから、それを曲げて言うことを聞かせることは義父にはものすごい労力を必要とし心底疲れてしまうと思う。
 夫婦のことは自分達でしよう!と固く決意して頑張っているのだろうけれど、状況はそんな義父の覚悟や決意をはるかに上回る強さと速さで進んでしまう。それを受け入れなれない、と言うか気付かない義父に「老い」を感じて辛くなる。

 義父は結果的に中途半端に投げ出してしまい、私達に余分な負担がかかるのだが、これをどうにかするために「義父の尊厳」を破壊したくはない。
 多分、義父よりは若く柔軟で