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August 2005

2005.08.28

広島弾丸ツアー1

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 とりあえず、写真だけ・・・(^_^;)詳細はまたあとで・・・。

 と、いうわけで。広島日帰り旅行に行ってまいりました。最初は、家族だけで1日半かけて車で行く予定だったのですが、義父が車は危険だからだめと言うし、自分も行きたいと言い出したので、急慮、新幹線での日帰り旅行となりました。現地滞在時間は約6時間。その間に、平和記念公園に行き、宮島へも行くというスケジュール。さて、前振りはそれくらいにして・・・。

 子どもたちを広島へ連れて行こうと考えたのは、かれこれ3年前。当時6年生だった上の子の修学旅行の行き先が、大阪・京都だったのだけど、大阪はユニバーサルスタジオジャパンで遊ぶというものだった。そして、中学3年生の修学旅行の行き先が東京で東京ディズニーランドで遊ぶという行程が入っていた。
 まあ、最近は修学旅行でテーマパークやレジャーランドに行くことも珍しくなく、自分たちも後楽園遊園地で遊んだ覚えがあるから、それはそれでいいのだけれど。
 まあ、単純な発想ではあるけれど、修学旅行でUSJやTDLに行く暇があるのなら、もうちょっとまじめに戦争のことも考える小中学生でいてほしいと思ったし、そういうの学校でもちゃんと教えてよ、と思った。
 しかし、気がつくまでもなく、我々親の世代でも明治以降の日本の歴史ははしょられて詳しく勉強する機会はなかった。上の子もやはり、明治以降の歴史は軽くしか教えてもらっていない。もしかして、学校では教えることができない・・・?
 と、そんなことを考え出すと話が大きくなるので、それこそはしょってしまうが、我が家としては、親の責任として、何らかの形で明治以降の歴史も子どもたちに教えておかねばと思い至った。
 そのとっかかりとして『広島』を選んだ。本当は長崎でも沖縄でも他のところでもよかったのだけど、とりあえず広島は日帰りできる距離だったので、広島に決めた。
 

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広島弾丸ツアー2

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 さて、広島駅を10時半ごろに降りて、まずは平和記念資料館へタクシーで向かう。
 夏休み最後の日曜日のせいか、それとも、休日だといつもこうなのか、たくさんの人が訪れていた。老若男女を問わずたくさんの人がパネルや映像、ジオラマ、写真に見入っている。外国の人もけっこういた。
 被爆までの広島の歴史、原爆の開発から投下までについて、被爆前と被爆後の原爆ドーム周辺の模型、そういったものをつぶさに眺める。
 小学生くらいの子どもに説明している若い父親、幼い頃の思い出を同行の友人に語りながら歩く老人、孫と思しき子どもたちを連れて回る老女、ただ食い入るように見つめる若い人。時折涙ぐむ人も見かけた。
 資料館を出た人々は、申し合わせたように原爆ドームへの道をたどる。資料館前から平和の池までの広場は、毎年8月6日にはたくさんの人で埋め尽くされる。その下には、さっき見てきた街の瓦礫が遺体が埋まっている。
 平和の火を横目で眺め、資料館を振り返る。資料館の2階の窓から見下ろした平和記念公園は、まるで寺院の伽藍のような美しい配列だ。平和の火は普段はあまり炎を上げないのだろうか。昼間の明るさもあいまって、あまり目だ立ず、見逃してしまうところだった。
 川の向こうに原爆ドームが見える。資料館にあった模型や写真で、ドームが産業奨励館だったことを知る。シンメトリーのモダンな洋風建築だったのだね。大きな建物だったろうに。
 60年前、この場所は焦土と化し、たくさんの人々が一瞬にして消えてしまった。今は、木々が生い茂り、緑の溢れた穏やかな空間となっているけれど、たった60年前にそんな痛ましい状況になっていたとは信じられない。
 日本という国は、いろいろな問題を抱えてはいるものの、たった60年で、ここまで復興したのだなあ。ここまで進んできたのだなあ。理由やきっかけがどうであれ、日本という国は60年間、戦争をせずにきたのだなあ。
 広島へは、子どもたちのためにと思ってきたけれど。自分もまたひとつ、考えるきっかけとなったように思う。
 被害者の立場ばかりには立てない。加害者としての日本もいる。けれど、本当に、二度とこんな爆弾を使うようなことの無いようにと強く思う。

 そうして、原爆ドームをあとにしたとき、時間は12時45分になろうとしていた。
 

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広島弾丸ツアー3

DSC00035  平和記念公園をあとにして、宮島を目指すことに。しかし、時間は12時45分。宮島までは1時間。そして、帰りの新幹線は義父の都合で午後4時27分初となっているため、宮島を3時には出なければならない。まさにハードスケジュール。まさに弾丸ツアー(笑)
 と、言うことで、広電に揺られ1時間、宮島口に到着。駅の目の前が桟橋で、10分おきに船が出ている。
 この日は、夏の暑さはあったものの、気温の割に湿度が低かったせいか、割とさわやかな一日だった。海風も吹き、意外と涼しい。船では甲板に出て、海風にあたりながら宮島を目指す。遠めに見える朱の鳥居。あれが厳島神社だ。
 船を下り、建物を出るといきなり鹿がお出迎え。宮島に鹿がいるとは知らなかったので、ちょっとはしゃいでしまいました(笑)
 目が合うと餌をくれると勘違いする鹿を振り切って、厳島神社へ。台風18号の被害の修理をしている箇所もあったが、さすが世界に誇る文化遺産。朱塗りの回廊の美しさは筆舌にしがたい。ちょうど潮が満ちてくる途中で、水に浮かぶ姿は見られなかったが、砂の上に建つ社殿もそれはそれで見ごたえがある。この回廊を自分の足で歩けるとはちょっと感動でした。
 厳島神社を出たところで時間は2時35分。さて、3時の船に乗らないと新幹線に間に合わないよ。

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広島弾丸ツアー4

DSC00057  結局、3時の船に間に合って、広島駅には4時に到着。新幹線の出発までは30分ほどあったので、お土産買って、お昼ご飯食べられなかったから駅弁買って・・・ともくろんでいたのに・・・。
 上の子が切符をなくしたといって大騒ぎ。それやこれやでお土産は買ったものの、食べるものは何一つ買えず。これで家まで帰るのはちょっと辛い。なので、ホームのキヨスクでおにぎりやらお菓子やらを買い込んでの帰路となった。
 せっかく広島まで行ったのに、広島焼きも穴子飯も食べられずにがっかり。ご当地ならではの食べ物を食べるのも旅行の醍醐味なのにねー。
 ということで、少し遺恨?を残したけれど、広島日帰りツアーは無事終わったのでした。
 ん~~~。でも、やっぱり心残り多し。こういう旅行は、家族だけで行くのがベストかな。義父も自分が行きたいと言い出したから文句も言わず(言えず?)、黙って歩いていたけれど、お疲れではありませんでしたか~~~?って感じだし。
 いつかまた行けるんだろうか。季節のいいときに、宮島観光したいです。

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2005.08.22

留まったままの人

 ところで、少し前の話だけれど、上の子の同級生のお母さんのうちの一人と偶然であった。仮に彼女をAさんとします。

 上の子は小学校5年生のとき、男子生徒によくからかわれたり、仲間はずれにされたりした。当時の担任の先生は、初動対応を誤り、いつしかうちの子はいじめられっ子になり、うちの子をからかっていたグループのリーダー的存在だった男の子はいじめっ子になってしまった。
 担任の先生は、自分ではもうどうしようもない事態になり、生徒同士が敵対意識を持つまで生徒を追い詰めてから、さじを投げてしまう。先生いわく我が家には、「お宅のお子さんがいじめられています。」男の子の家には「お宅のお子さんが問題行動を起こして困っています。」
 そうして、クラス、学年を交えた問題になったのだが、当の我が家と男の子の家庭にとっては大問題であったが、他の子どもたちやその家庭にとっては「はあ?」という次元だった。
 なぜなら、うちの子もその男の子も特に問題はなく、小さい頃から二人を知っている人たちは口をそろえて言うほど、「明るくて、やさしい、思いやりのあるいい子。」だったのだから。
 自然、大問題と言いつつも「触らぬ神にたたりなし」「うちの子に影響ないなら関係ない。」という空気ができあがる。同級生たちも、多少なりとも関係のある子どもたちは「逆らうとA君が怖いから。」という理由で、我が家の子どもをいじめていたし、その他の子は「私には関係ないから。」とか「やられる方も悪いんだよ。」と言う態度だった。結局大問題だったのは、うちとA君の家庭だけだったようだ。
 実は、A君は私も小さい頃から知っていて、わがままな所や威張ったりする所はあるにしろ、それは誰でもが持つ範囲のことで、病気の子を思いやったり、間違っていると諭せば素直に謝る子だった。
 多分、問題が起こった初めの頃に、彼の気持ちをきちんと汲み、諭し、きちんと叱れば、こんなことにはならなかっただろう。
 結局担任の先生はさじを投げたまま、その学年を終えた。6年生になり、A君の新しい担任は、A君を厳しく、しかし、やさしく指導した。自分をわかってくれるという安心感からかA君は5年生のときにあった荒んだ感じが消え、元の明るいA君に近づいていった。
 遅れること1年、中学に入ったうちの子も、担任の先生の理解のおかげで、いじめられっ子から普通の子に変わることができた。(いまだ、友達を作るのが怖い、どうしていいかわからないという後遺症はあるものの、とりあえず普通の中学生活を送っている。)
 私は、問題が起こった当初は、自分も責めたし、子どもを追い詰めもした。何を訴えても本腰を入れるわけではない学校や先生たちに、よっぽど教育委員会などに訴えていこうかと思ったこともある。
 転校も考えたし、登校拒否も辞さない覚悟だったし、小学校なんて行かなくてもいいとさえ思っていた。たとえ、子どもが学校へは行きたいと言っても行かせない、くらいに思っていた。
 しかし、逃げていても事態は打開できない。歳よりも幼く、思慮も浅く、思考も短絡的なうちの子だったが、これもひとつの勉強と、実際の歳よりも上の子に対応するようにした。
 子どもは今までとは違った高度な話に、戸惑いながら、わからないながらついてきた。理論的に物事を捉えることも必要だということも理解しようとしていた。
 あれから3年。まだまだ傷の癒えない所もあるようだけれど、自分探しを続けている。そんな子どもを見ていると、私の中にも余裕が出てくるのだろう。
 何かあっても、動じずに正確な状況把握をし、的確な判断ができるように努力するようになって来た。子どもの年齢も関係しているし、子どもの「大人加減」も関係しているが、とても長い目で子どもやそれを取り巻く環境を見ることを心がけるようになれた。

 さて、学校で数人のお母さん方と話をしているときに、Aさんもいた。その中の一人Bさんは自分の娘が「親に反抗するし、勉強はしないし、眉毛そったり、制服をちゃんとしない。」とこぼしていた。私は、「そんな時期もあるし、ちゃんとすることが必要なことを話せば、夏休み終わったら実感するからあせらずにね。」と答えた。その場にいたCさんも、「勉強はとりあえず塾にも行ってるし、反抗していても子どもはわかっているから、待つことも大事だよ。」と答えた。
 Bさんは、「お宅はいいじゃない。まじめだし。いつでも明るいし。親子で仲がいいし。勉強もちゃんとしてるってうちの子も言ってたよ。」と言ってくれた。私は「いやいや、まだまだ未熟でね~~。いっつも、することしてから~!って怒らないと、何もしないよ。」と言った。Cさんも「怒ってするならいいじゃん。うちは怒ってもしないし。それにいつも元気だね。挨拶もちゃんとしてくれるし。」と言ってくれた。
 いきおいAさんが無視された状態になってしまったので、私は「勉強と言えば、A君はすごいらしいじゃん。」と話をふった。実際にA君は小学校のときから頭が良く、今でも学年で上位にいるらしい。それを知っているからBさんもCさんも「そうそう。もう、ぜんぜん安心じゃん。」と彼を褒めた。
 そうすると、Aさんはそれを受けて、A君のことを褒めだした。

 そこまできて私は気がついた。私はAさんもBさんもCさんも、その目を見て話をしていた。BさんもCさんも私の目を見て話している。BさんとCさんはAさんの目を見て話をしている。けれど、Aさんは、誰の目も見ないで話をしているのだ。

 いろいろとA君の家庭での態度を褒めながら、Aさんは話を続ける。誰の目も見ずに。

 私はそのとき、Aさんをかわいそうに思った。
 自分の子どもを褒めたい。誰かに認めてもらいたい。それは親なら誰しも思うことだろう。「みんなが悪く思っている子でも、うちではこんなにいい子なのよ。悪いばかりじゃないのよ。本当はやさしくていい子なの。」ほとんどの親がそう思って、そう叫びたいだろう。
 そう、自分の子を人様が「悪い子」と思っているなら、なおさら。親である自分しか、子どもを庇う者はいないと。
 つまり、Aさんは、A君をみんながまだ「問題を起こす子」もしくは「問題を起こした子」と思っていると、思っているのだ。だから、うちの子はそうじゃないのよ、とみんなに話したい。
 いや、これは私の勘違いかもしれない。でも、誰の目も見ずに、A君を褒める話にみんながどうりアクションしていいかわからないのにも気がつかず、話し続ける彼女を見て、いたたまれない気持ちになってしまった。

 実際。私の中では、ほとんど、あの時のことは終わったことで、そんなことより、これから先、うちの子がどうやって人生を歩いていくか、どんな友人ができるのか、どんな伴侶を得られるのかとか、未来を見ることに必死だ。
 けれど、確かにA君やAさん、うちの子を仲間はずれにして、いじめた同級生たち、無関心を装ったその親たちを許せなかった。当事者の子どもたちを殺してしまいたいくらい憎んだし、さじを投げて逃げてしまった先生だって未だに許す気にはなれない。
 ただ、それに囚われていたって、事態は進展しないし、そこからの脱出はないから。
 だから、今、他人がうちの子をどう思っていたか、どう思われているか、より、子ども自身が「今、私は、こうなんだ。」と胸を張って「言える」ことのほうが大事なのだ。
 私が他人に「うちの子はこうなのよ。」と話すより、子ども自身が「私はこうだ。」と言える方が大切なことだと思う。

 そう思うと、やはり、Aさんがかわいそうに思える。もしかしたらA君は、とっくに飛び立って先を見ているかもしれないけれど。Aさんは、未だに、もがいているのかもしれない。
 

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2005.08.18

異国風のたたずまい・・・

p4 ん~~、こんな感じの家にしたかったな(笑)
 8月17日と18日分の日記をupしちょります。

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パルケ・スパーニャ

p1 特にどこにも遊びに行く予定がなかった我が家。弟夫婦の提案でパルケ・エスパーニャへ弟家族と一緒に遊びにいきました。
 今回で3回目なので、あまり目新しい感じしないけれど、子どもたちは子どもたち同士でアトラクションを回ってくれるので、ずいぶんとゆっくりのんびりプチリゾートを楽しみました。
 建物にイルミネーションを施したり、ロストレジェンドでは炎も水も何年か前に来たときよりは派手に演出されていたし、吉本興業がステージやっていたりで、がんばっているんだなあって思いましたです。
 ああ、少しだけど、花火も見たよ。結構きれいだったです。
 最後は、ひまわりの湯という温泉につかって、汗でべったりの体をすっきりさっぱり。お肌つるつるになって帰りました。
 子どもたちもそれなりに喜んでいたので、まあ良かったなと。

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2005.08.17

赤福、再び。

p2 p3








 2月の終わり頃、伊勢に行って「赤福ぜんざい」を食べたとここにも書いたけど、赤福では夏限定の「赤福氷」というものもあります。
 見た目はただの抹茶かき氷。しかし、抹茶のかかった部分をげしげしとスプーンで崩していくと、中から「赤福もち」が現れます。(白玉も入っているよ。)
 で、もう少しげしげしと崩すと中心部にはしろみつがかけてあって、抹茶のほろ苦さと赤福もちの餡の甘さとしろみつの甘さが溶け合って、なかなかのお味。
 もうひとつの写真はそのまんま「赤福もち」。こちらは年中頂くことができます。観光シーズンに行くとそりゃすごい人で、なかなかまったりとした雰囲気とはいきませんが、お味の方はまったりできますので、伊勢に行く機会があれば、どうぞご賞味あれ。

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2005.08.15

8月15日

 60年。長くもあっという間の歳月か?
 当時、うら若き未亡人であった祖母は85歳となり、生まれてから父の顔を見たことのない5歳の少女は65歳になっている。
 歴代天皇の名前が言えないだけで、どうして非国民なのか納得できず、初代から今上までの名前を全員で唱和することをバカにしていた少女は、75歳となり、少しぼけの症状がでてきた。
 戦争を知らない私たちは、「戦争を知らない子どもたち」を高らかに歌った一世代前の若者たちがどういう想いで、昭和を生きてきたか、実感することもない。
 生まれたときから、炊飯器や洗濯機、テレビがあり、家中の部屋に電気照明があり、掃除機もアイロンもコタツも生活用品のほとんどが電化製品だった。
 お金がなくて修学旅行にいけないとか、つぎを当てた服を着ていたとか、給食費が払えないとか、そういう級友はいなかった。
 お金持ちとそうでない家庭の差はあったけれど、最低限の生活は普通にできていた。もっと広い世の中を見れば、自分が子どもの頃、もっと苦しい生活を余儀なくされていた家庭もあっただろうが、私の周りには少なくともそういう人がいなかったに等しい。
 そんな環境で育った自分が大人になり、結婚して子どもを産む。
 子どもたちは、生まれたときから、テレビもビデオもエアコンもゲームも、食べ物も着る物も、情報も溢れるような中で成長している。
 「時代」は一個人でどうにかできる代物ではない。どの「時代」に生きようが、その「時代」に生まれてしまった限り、自分の生を全うする他はない。
 今でもどこかで戦火が絶えない。この瞬間もどこかで誰かが死んでいるのかもしれない。
 いつか、この惑星がひとつの国になることがあるのだろうか?ひとつの連合国みたいなものとして成り立つ日が来るのだろうか?大きな争いごともなく、戦火で誰かが死ぬようなこともない日が。
 永の歴史。人が繰り返してきた過ちを繰り返さなくなる日がいつかやってくるのだろうか?
 目の前の幸せだけを見つめることをやめて、目の前の幸せと同等にこの先を生きる万物すべてに思いをはせることができる日がやってくるのだろうか?
 とりとめもなく。戦後60年といわれる節目の日に思ったこと。

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2005.08.06

だまされた(笑)

P1000037  とある昼下がり。お盆ウィーク前の忙しさの中でも、時々はぽっかり時間が空いたりする。
 事務所の時間が空いたなら、現場の時間も空くのが道理。現場で働く兄ちゃんが「ほらほら、こんなのつかまえた~。」とくわがたを持ってきた。
 「え~、こんなりっぱなの、どこにいたの?」と、事務所中でびっくり。
 体長5センチはゆうにある。黒光りする背中。立派な角。
 「でも、くわがたってこんな昼間につまかるものなの?」とか「現場の周りにきなんてあったけ?」とか、わきあがる疑問の数々に、持って来た兄ちゃんも笑いながら、「家から持ってきたんさ。」と種明かし。危うくだまされるとこだった(笑)
 兄ちゃんは自宅で何10匹というくわがたを幼虫から育てているそうな。
 そういえば、事務所のお姉ちゃんも春先にメスオス1匹ずつもらっていたっけ。で、ひとつ気前くらいに羽化したばかりのくわがたを事務所に持ってきて見せてくれたなあ。
 子どもの頃はカブトムシもくわがたも近くの公園の木で、ラジオ体操のあと、よく採ったよね。(と、言っても同級生の男の子が採ってくれたのを手にとって見ていただけだけど。)
 今じゃ、お店で売ってるけど。兄ちゃんみたいに育てている人もいるんだなあ・・・・。

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2005.08.04

ありがたや・・・

 お友だちがありがたいものを送ってきてくれました。久しくお会いしていないものの、心の片隅で「いつもどうしてらっしゃるか?」と気にかけている方からだったので、なにやら嬉しいような感動のような・・・。
 これ幸いと早速電話をかけて、しばらくお話しました。一番下のお子さんがうちの下の子と同学年なので、子どもの成績と担任の先生談義に花が咲いてしまったのであります(^_^;) (こっちからもう応援してるぜ。負けるなよ~!(笑)
 そちらでも気にかけてくれていて、とてもありがとうなのです。

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2005.08.03

ブレスレット

gb  一体いくつあったらいいんだ?と自問自答しつつ(笑)またもやガーネットのブレスを購入してしまった。AAランク以下のものだけれど、二つともそれはお値打ちに手に入ったので良しとしよう。
 ガーネットは重い石なので、いつくも大きい珠のものをつけると、手首が重い感じがするけれど、太陽の陽に当たるとぶどう色の深い赤が楽しめる。

bb なんだかんだで、9つも集まってしまった。(写真にはそのうちの7個が写っています。)こんなにあったら石同士喧嘩しないか?と、心配になってしまう(^_^;)
 どれもこれも気に入って手に入れたものだから、それぞれにかわいい。さすがに一度に身に着けることはないけれど、どの子もお気に入り。

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2005.08.02

熟睡2

tora2 気に入ったところなら、どこででも。どんな格好でも。本当に猫はよく寝ます。

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