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2005.08.22

留まったままの人

 ところで、少し前の話だけれど、上の子の同級生のお母さんのうちの一人と偶然であった。仮に彼女をAさんとします。

 上の子は小学校5年生のとき、男子生徒によくからかわれたり、仲間はずれにされたりした。当時の担任の先生は、初動対応を誤り、いつしかうちの子はいじめられっ子になり、うちの子をからかっていたグループのリーダー的存在だった男の子はいじめっ子になってしまった。
 担任の先生は、自分ではもうどうしようもない事態になり、生徒同士が敵対意識を持つまで生徒を追い詰めてから、さじを投げてしまう。先生いわく我が家には、「お宅のお子さんがいじめられています。」男の子の家には「お宅のお子さんが問題行動を起こして困っています。」
 そうして、クラス、学年を交えた問題になったのだが、当の我が家と男の子の家庭にとっては大問題であったが、他の子どもたちやその家庭にとっては「はあ?」という次元だった。
 なぜなら、うちの子もその男の子も特に問題はなく、小さい頃から二人を知っている人たちは口をそろえて言うほど、「明るくて、やさしい、思いやりのあるいい子。」だったのだから。
 自然、大問題と言いつつも「触らぬ神にたたりなし」「うちの子に影響ないなら関係ない。」という空気ができあがる。同級生たちも、多少なりとも関係のある子どもたちは「逆らうとA君が怖いから。」という理由で、我が家の子どもをいじめていたし、その他の子は「私には関係ないから。」とか「やられる方も悪いんだよ。」と言う態度だった。結局大問題だったのは、うちとA君の家庭だけだったようだ。
 実は、A君は私も小さい頃から知っていて、わがままな所や威張ったりする所はあるにしろ、それは誰でもが持つ範囲のことで、病気の子を思いやったり、間違っていると諭せば素直に謝る子だった。
 多分、問題が起こった初めの頃に、彼の気持ちをきちんと汲み、諭し、きちんと叱れば、こんなことにはならなかっただろう。
 結局担任の先生はさじを投げたまま、その学年を終えた。6年生になり、A君の新しい担任は、A君を厳しく、しかし、やさしく指導した。自分をわかってくれるという安心感からかA君は5年生のときにあった荒んだ感じが消え、元の明るいA君に近づいていった。
 遅れること1年、中学に入ったうちの子も、担任の先生の理解のおかげで、いじめられっ子から普通の子に変わることができた。(いまだ、友達を作るのが怖い、どうしていいかわからないという後遺症はあるものの、とりあえず普通の中学生活を送っている。)
 私は、問題が起こった当初は、自分も責めたし、子どもを追い詰めもした。何を訴えても本腰を入れるわけではない学校や先生たちに、よっぽど教育委員会などに訴えていこうかと思ったこともある。
 転校も考えたし、登校拒否も辞さない覚悟だったし、小学校なんて行かなくてもいいとさえ思っていた。たとえ、子どもが学校へは行きたいと言っても行かせない、くらいに思っていた。
 しかし、逃げていても事態は打開できない。歳よりも幼く、思慮も浅く、思考も短絡的なうちの子だったが、これもひとつの勉強と、実際の歳よりも上の子に対応するようにした。
 子どもは今までとは違った高度な話に、戸惑いながら、わからないながらついてきた。理論的に物事を捉えることも必要だということも理解しようとしていた。
 あれから3年。まだまだ傷の癒えない所もあるようだけれど、自分探しを続けている。そんな子どもを見ていると、私の中にも余裕が出てくるのだろう。
 何かあっても、動じずに正確な状況把握をし、的確な判断ができるように努力するようになって来た。子どもの年齢も関係しているし、子どもの「大人加減」も関係しているが、とても長い目で子どもやそれを取り巻く環境を見ることを心がけるようになれた。

 さて、学校で数人のお母さん方と話をしているときに、Aさんもいた。その中の一人Bさんは自分の娘が「親に反抗するし、勉強はしないし、眉毛そったり、制服をちゃんとしない。」とこぼしていた。私は、「そんな時期もあるし、ちゃんとすることが必要なことを話せば、夏休み終わったら実感するからあせらずにね。」と答えた。その場にいたCさんも、「勉強はとりあえず塾にも行ってるし、反抗していても子どもはわかっているから、待つことも大事だよ。」と答えた。
 Bさんは、「お宅はいいじゃない。まじめだし。いつでも明るいし。親子で仲がいいし。勉強もちゃんとしてるってうちの子も言ってたよ。」と言ってくれた。私は「いやいや、まだまだ未熟でね~~。いっつも、することしてから~!って怒らないと、何もしないよ。」と言った。Cさんも「怒ってするならいいじゃん。うちは怒ってもしないし。それにいつも元気だね。挨拶もちゃんとしてくれるし。」と言ってくれた。
 いきおいAさんが無視された状態になってしまったので、私は「勉強と言えば、A君はすごいらしいじゃん。」と話をふった。実際にA君は小学校のときから頭が良く、今でも学年で上位にいるらしい。それを知っているからBさんもCさんも「そうそう。もう、ぜんぜん安心じゃん。」と彼を褒めた。
 そうすると、Aさんはそれを受けて、A君のことを褒めだした。

 そこまできて私は気がついた。私はAさんもBさんもCさんも、その目を見て話をしていた。BさんもCさんも私の目を見て話している。BさんとCさんはAさんの目を見て話をしている。けれど、Aさんは、誰の目も見ないで話をしているのだ。

 いろいろとA君の家庭での態度を褒めながら、Aさんは話を続ける。誰の目も見ずに。

 私はそのとき、Aさんをかわいそうに思った。
 自分の子どもを褒めたい。誰かに認めてもらいたい。それは親なら誰しも思うことだろう。「みんなが悪く思っている子でも、うちではこんなにいい子なのよ。悪いばかりじゃないのよ。本当はやさしくていい子なの。」ほとんどの親がそう思って、そう叫びたいだろう。
 そう、自分の子を人様が「悪い子」と思っているなら、なおさら。親である自分しか、子どもを庇う者はいないと。
 つまり、Aさんは、A君をみんながまだ「問題を起こす子」もしくは「問題を起こした子」と思っていると、思っているのだ。だから、うちの子はそうじゃないのよ、とみんなに話したい。
 いや、これは私の勘違いかもしれない。でも、誰の目も見ずに、A君を褒める話にみんながどうりアクションしていいかわからないのにも気がつかず、話し続ける彼女を見て、いたたまれない気持ちになってしまった。

 実際。私の中では、ほとんど、あの時のことは終わったことで、そんなことより、これから先、うちの子がどうやって人生を歩いていくか、どんな友人ができるのか、どんな伴侶を得られるのかとか、未来を見ることに必死だ。
 けれど、確かにA君やAさん、うちの子を仲間はずれにして、いじめた同級生たち、無関心を装ったその親たちを許せなかった。当事者の子どもたちを殺してしまいたいくらい憎んだし、さじを投げて逃げてしまった先生だって未だに許す気にはなれない。
 ただ、それに囚われていたって、事態は進展しないし、そこからの脱出はないから。
 だから、今、他人がうちの子をどう思っていたか、どう思われているか、より、子ども自身が「今、私は、こうなんだ。」と胸を張って「言える」ことのほうが大事なのだ。
 私が他人に「うちの子はこうなのよ。」と話すより、子ども自身が「私はこうだ。」と言える方が大切なことだと思う。

 そう思うと、やはり、Aさんがかわいそうに思える。もしかしたらA君は、とっくに飛び立って先を見ているかもしれないけれど。Aさんは、未だに、もがいているのかもしれない。
 

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