経過報告その1
しゃぼんだま とんだ やねまで とんだ
やねまで とんで こわれてきえた
しゃぼんだま きえた とばずに きえた
うまれて すぐに こわれて きえた
かぜ かぜ ふくな しゃぼんだま とばそ
作詞 野口雨情 作曲 中山晋平
多くの人々がご存知の童謡「シャボン玉」の歌詞である。
作詞者である野口雨情が早世した我が子を偲んで作った唄だという説がある。それが事実かどうかは私には知る由もないが、そう思いながら読んでみるとなるほどそうかもと思わせる。
小学生の頃に覚えた歌だが、素朴な情景なのに、なぜこんな寂しい印象のある唄なのだろうと子ども心に思っていた。子ども達が元気な声で歌うよりも、ある程度の年齢の大人がしんみり歌ったほうが雰囲気があっているような気がしていた。
ずいぶん大人になってから、我が子を偲んで・・・と言う話を聞き、なんとなく納得した覚えがある。
私は4月の中頃に業務見直しによる人員整理のための解雇と言うことで、バイト先を辞めた。この件については、ずいぶん前からそんな噂を聞いていたし、私の目から見てもこの3年間で「営業所自体の売り上げ」はずいぶん減っていると感じていたので、突然の解雇通告だったにもかかわらず、ショックも憤りもなかった。
バイト先は旦那さんの系列会社と言うこともあってか、週3回で就業時間も6時間程度の楽なバイトではあったが、3年と半年、何かと気を使い、ストレスもあったと思う。ちょうど辞めた時くらいは、旦那さんの就業時間が不規則で、年度末も手伝って帰宅時間が遅く、睡眠時間も少なかったりした。喘息の症状も芳しくなく、小さな発作もよく起こしていた。
それでホルモンのバランスも崩れていたのだと思う。排卵時期が大きくずれていたらしい。もしかして・・・と思いつつ、市販の検査薬で検査すると、妊娠反応が出た。それが5月16日のことだった。
5月16日水曜日
その日のうちに、産婦人科を受診した。受診結果は妊娠6週目。
正直、産むかどうか迷った。出産時の年齢は、自分が45歳、旦那さんが48歳。自分は4年前に発症した喘息に今も悩まされている。薬も毎日飲んでいるし、肺までとは言えステロイド吸入も毎日している。小さな発作もよく起こすし、大きな発作を起こせば呼吸困難に陥り、病院へ飛んでいくこともある。
そんな自分が、胎児を育て、産む自信がなかったし、産まれた子が成人した時の自分達の年齢を考えると躊躇するものがあった。
最初に行った個人病院の先生は、喘息を理由に、何かあった時に自分では責任が取れないから総合病院を紹介すると、地元の県立病院を紹介してくれた。何かあったときとは、流産した時、中絶する時、帝王切開する時、出産時自然分娩でも喘息発作が起きた時など・・・、そう言ったことに対応できないということだった。
けれど、実は、その時点で稽溜流産の疑いがあると診断されていたのだった。
5月17日木曜日
翌日、総合病院を受診した時に、担当医師が「産みますか?どうされますか?」と聞いてきた。私は個人病院でも「中絶の可能性も含めて・・・。」と話しをしてあったので、同じようにそう答えた。
それで、少し安堵したように担当医師が言った。
「個人病院の先生も紹介状に書かれていますが、先ほどの診察の結果、稽溜流産の疑いが非常に濃いです。」
私は、稽溜流産と言う言葉を初めて聞いたが、要するに、胎嚢( 胎児の袋 )は存在するが、胎児心拍が無い状態で、出血などの症状が無くてもすでに妊娠が中断している状態のことを言うのだそうだ。
確かに。昨日も今日もエコー診察の映像を見せてもらったが、10何年も前に経験したときの赤ちゃんの影が袋の中に見えなかった。そして、個人病院の医師の歯切れがなんとなく悪い気がした理由もそれだったのかと思った。
ただ、担当医師は、排卵日が確定できないから、疑いが濃いというだけで確定はできないとも言った。
一週間後、もう一度受診する予約をして、血液検査を受けてその日は帰宅した。
なんだか、不思議な気持ちだった。複雑な気持ちとはこんなことを言うのか、とも思った。
望んだ妊娠でも待ち望んだ妊娠でもなく、もしかしたら産まないと決めた妊娠だった。心臓を動かすこともなく、おなかの赤ちゃんは静かにしている。それでも・・・。
もし、流産ではなく育っていくのだとしたら、私は、私達夫婦はこの子をどうするのだろうか。このまま流産してしまうのだとしたら、どうして、私達はこの子を宿したのだろうか。
考えても答えの出ないような思いが押し寄せてきた。旦那さんも動揺していたようだ。
5月23日水曜日
そして、次の週。約一週間おいて再受診した。妊娠7週に入っているにもかかわらず、胎嚢の大きさは変わらず、育っていない。先週受けた血液検査と今週の診察前に受けた血液検査の妊娠に関する数値も変化がなかった。
担当医は「残念ですが、稽溜流産と確定します。」と言った。
普通、そう診断されると一週間待たずに、手術をするそうだ。体内に育っていない組織を長く残していると、次の妊娠に影響したり、体によくなかったりするらしいからだ。ただ、私は喘息だし、次の妊娠も積極的には望んでいないと言うことで、経過観察となった。喘息患者は麻酔をかけるとアレルギー反応を起こし、呼吸不全となり危険なこともあるからである。
もし、自然に流産するのなら、そちらの方が、体への負担が少ないと言うことで、そちらを選択することにした。もちろん、自然流産の場合でも、激しい痛みがあったり大出血があったりするので、そちらもけして安全な話しではないのだが・・・。
万が一を考えて、次週も診察し、完全に流産と確定したら手術しましょうと、手術日の予約もし、次回は手術のための血液検査もすることにした。
5月26日土曜日
それから2日。出血があるかもしれないからと言われていたので、それなりの手当てをして毎日を過ごしていた。
初めはほんの少量だった。自分でも、気のせいかな?と思うほどの量だったけれど。最初の出血があってから1日、2日とたつごとに、気のせいではなく本当に出血しているんだとわかった。
5月28日月曜日
丸2日たつと、お腹も痛くなってきた。感覚で言うと1時間に1回程度。生理痛のきつめ、陣痛のごく弱いもの、そんな感じの痛みだった。まだ、何か作業をしていると気がまぎれているが、じっとしていると、ずっとお腹が張っているような感じだった。
病院に連絡をしてすぐに診察してもらう。流産が進行中で、まだ胎嚢はお腹の中にあると言う。そのうち自然に流れてくるだろうから、遠出はせず、普通に日常生活をしていていいと言われた。
出血の量は顕著に増えることはなく、生理が始まって丸1日くらいな感じ。時々、腹痛があって、思わず「痛い」と口に出るような痛みだった。
5月29日火曜日
腹痛は陣痛なのだろう。昼間は1時間のうちに1~2回くらいの痛みだったので、買い物に行ったり銀行に行ったり、とりあえずやっておかなければならないことをしておく。
昼を過ぎ夕方から夜にかけて、腹痛はひどくなる。20分に1回が10分に1回、それが5分おきとなって、ものすごい痛みになる。お腹だけでなく、腰も痛い。骨盤が砕ける痛み、と言えばいいか。自然分娩した人ならわかるだろうか。とにかく痛い。出血は生理の一番多い日のような感じ。
この一週間、体がだるく、だるさで眠れない・・・みたいな状態だったので、眠いのだけれど、痛くて眠れない。うとうととしては痛みで目が覚める。
翌日の昼に診察を受けることになっていたので、ひたすら我慢して夜を過ごした。
5月30日水曜日
夜よりも朝や昼間の方がすることが多く、気がまぎれるせいか、陣痛にも神経質にはならないが、やはり痛い。定期的にやってくる痛みに、うずくまりながら、子ども達のお弁当を作ったり、晩ご飯の用意をしておいた。
昼過ぎ、旦那さんが病院までついてきてくれた。あまりにも痛みが激しいので、一人で運転することができなかったし。やはり2人の子だから、一度くらいは付き添いをしてもバチは当たらないだろうし。この日にお腹の子は流れて行ってしまうと確信もあったし。
診察に入り、状況を説明すると、医師は「もしかしたらもう出てしまっているかもしれないね。」と言い、診察をしてくれた。結果はまだお腹にいるけれど、出始めているからこのまま処置することになる。
変な例えだけれど、少し引っ張れば出てくるだろうと処置をしてもらった。痛かった。激痛ほどではないけれど、やはり痛かった。時間にすればほんの2、3分。
ちゃんと出たけれど、後産があるから、まだしばらくは痛みますよ、と言われる。あとは薬をもらって、翌週に検診をする予約をして終わった。
帰り道も帰ってからもすごく痛かった。だるかったし痛かったし。痛みを耐えるために体に力を入れるから、変なところも筋肉痛のような痛みもあるし。子宮収縮剤を飲むと、元に戻ろうとしているせいか、さらに痛みが増す。あんまり痛かったからその夜もあまり眠れず。
5月31日木曜日
一晩明けても腹痛は続く。感覚がずいぶんあいてきたので、昨日、おとついのことを思うとだいぶ楽。でも、痛い・・・。とりあえず、子ども達や旦那さんのお弁当を作り、ゴミ出しをした。
昨日は眠れなかったのだから、今から寝ちゃえと横になる。9時半は覚えているけれど、10時は覚えていない。途中、電話などで起こされるが、時間の感覚はなく、目が覚めたら昼の1時を回っていた。
ごそごそと起き出して、昼食と洗濯。食事は薬を飲まないといけないので、お腹がすいていなくても少しは食べないといけない。
時折、痛みはあるものの、昨日よりはずっと楽になった。腰がだるく、あちこちの筋肉も軽くだるい。
それでも、だんだんと楽になっていくし、私の見た目は変わっていないのだから、しばらくすれば、このまま日常が戻ってくるのだろうと思う。
6月1日
日々、体は元に戻っていく。たくさん動くとそのあとが痛くて大変だが、そろりそろりしていく分には大丈夫そうだ。痛みがひどい時に眠れなかったのが響いて、いまだに昼夜が規則正しくならない。変な時間に眠くて、夜眠れなかったりする。これも少しずつ直してちゃんと時間通りにしないとね。
薬を飲んだ後は、腹痛に悩まされるけれど、時間がたてば楽になっていく。
なんか知らないうちに月が変わってしまった。長い5月だったな。
そんなことで・・・。5月に入ってから、あっという間の一ヶ月だった。一ヶ月しかたってないのに、なんかいろんなことがあって、いろんなこと考えた5月だったなあ・・・。
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Comments
>小雪ちゃん
ありがとうです。日にち薬なので、ひたすらまったり過ごすことにしてます。
小雪ちゃんも頑張ってね。
Posted by: 管理人 | 2007.06.05 10:43 PM
どうぞ、お大事になさって。。ゆっくり、心と体をいたわってあげてくださいね
Posted by: 小雪 | 2007.06.05 01:00 PM