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2007.06.09

点と点を繋ぐ・・・流産を経験して思ったこと

 日常にない経験をすると、いろいろなことを考える。

 流産した人に、よく「次があるから気にせずに、前向きに。元気出して。」と声をかける。確かに、そうだ。流れていってしまった命をくよくよと思っていては、流れてしまった命も幸せになれないし、その人も幸せになれない。次に授かった命にも良くないかもしれない。

 若ければ、次の妊娠を望んでいるのなら、確かに次があるからくよくよせずに過ごしていくべきだと思うけれど。でも、望んだ命をなくしたすぐに「次があるから・・・」と言われたら、流れていってしまった命を軽く言われていそうに思ってしまわないかと思ったりした。
 もちろん、慰めてくれる人が流れていってしまった命を軽く思っているわけもないだろうし、流れていった命よりも、この世に存在する「その人自身」を何より大切に思っての言葉だとは思うけれど。
 あまりにも早く、お腹の中から出してしまうことに、感情がついていけない人もいて、その後遺症で、人からもらう親切な言葉にもナーバスに反応してしまう人もいるだろうなと思った。

 私の場合は、いろんな条件が重なってそれを踏まえての診察だった。何かあった時も喘息のため麻酔は極力避けたいとの医師の考えがあったので、妊娠経過は細かく見てもらえた。
 だから、稽溜流産も比較的早くわかったし、それぞれのリスクはあっても手術より自然流産の方が安全だと判断されたから、赤ちゃんが流れていくまでその子のことを思えたし、実際に流れていく過程で赤ちゃんのことをきちんと見送ってあげられたように思う。
 お腹の中に育ってない赤ちゃんを抱いていた時、生きていないことがわかっていても愛しかった。慈しみたかった。大事にしたかった。流れていくまで愛してあげよう、流れていったあとも忘れずにいようと思った。

 けれども、普通なら、妊娠6~8週くらいに初めての検診を受けたら、その時によっぽど事情がない限り、次の検診は約1ヵ月後だ。6週7週だと、生理が遅れて2週間~3週間あとだから、自覚もある。8週ならば、早い人ならつわりだって始まる。
 初めて、望んだ赤ちゃんをお腹に宿したとわかったなら、誰だって嬉しいし幸せをかみしめるだろう。

 しかし、稽溜流産は流産の自覚がない。腹痛も出血もない。1ヵ月後、検診に訪れて、そこで初めて赤ちゃんが育ってないと告げられる。
 どれほどのショックだろう。どれほどの哀しさだろう。どれほどの辛さだろう。
 そして、次の妊娠を望む人なら、若い人なら、健康な人なら、稽溜流産と診断されたら多くの人が診断されてから一週間たたない間に手術を受ける。麻酔をかけ意識のないまま、今度目覚めたら自分のお腹の中には赤ちゃんがいない状態になっている。

 育たない組織を体の中に長く留めておくことは母体によくないことも、自然流産の痛さもリスクも考えれば、それは間違った方法ではない。
 だが、望んで宿した赤ちゃんを温かな愛情と幸せの中で育てていたつもりが実は死んでいると告げられる時のショック、そのショックも受け止められないままに迎える手術。本当に辛く、哀しいことだ。

 でも・・・。
 流産と告知されてすぐの手術はメンタルな部分でも悪くはないと思う。なぜなら、流れてしまうまでのあの痛みと苦しみ、後悔のような自責のような気持ち、それらは、できるなら軽い方がいいとも思うから。

 流産と言われても、実際経験していないとどんなものかはよくわからないだろうと思う。ドラマとか映画とか小説とかで流産の描写はあるし、流産の種類によっても症状は違うと思うけれど。稽溜流産の場合(と言うか、私の場合)、よくイメージされているような突然激しい腹痛が襲い、すぐに出血がはじまるようなものではない。
 普通のお産のように、「お印」と呼ばれる少量の出血があり、陣痛が始まり、最後は本当の出産と同じように5分間隔の陣痛があった。破水の代わりに出血があったけれど、赤ちゃんの組織を産み出すまで本当に苦しかったし、痛かった。

 流れていくとわかっている子をあの痛みの中で、子を授からなかった哀しみと自分のせいで流れていくのではないかと言う自責の思いを抱きながら過ごすのはあまりにも辛いだろうと思う。
 私は、体の事情もあったから必然として自然流産を選んだが、この歳でなければ、辛くて仕方なかったのではないかと思う。
 あまりの痛みに、こんな痛みをなぜ負わす?とか、私一人のせいじゃないのにどうして痛い思いをしなくちゃいけない?とか、こんな痛みを感じるくらいならさっさと手術すればよかったとか、あとで思い起こして、さらに後悔するような考えを持ってしまうかもしれない。て言うか、本当にすごい痛みなんだ。そんな風に思ってしまうような痛みなんだ。その痛みは体だけの痛みではなく、心も痛いんだと思う。

 どれほど人から慰められても、哀しみと後悔から逃れられないのなら、少しでも痛みや哀しみは軽い方がいい。
 そう思うと、一見、残酷のように見えるすぐの手術も、たくさんのケースを経験してきた医師側が選んだ最上の方法なのかもしれない。

 どんな事でもそうだけど、見えている「点」だけを見て、それを批判したり賛成したりするのは簡単だ。だけど、「点」と「点」を繋げて、初めて「そうなんだ」と納得することもたくさんあるんだと改めて思った。

 このブログを読んでくれる人の中には、「流産」について検索してたどり着いてくれた人もいるようだ。
 流産することは辛い。心も体も本当に辛く、苦しい。高齢で積極的に望んでいなかった妊娠でも、流れてしまうことが辛く切なかった。
 望んだ妊娠ならなおのことだろう。
 もし、このブログを読んでくれている貴方が不安を感じているなら、辛さを感じているなら、どうか、ゆっくりと過ごしてほしいと思います。流産してしまうのは、お母さんのせいではないのだから。

 子どもは授かりもの・・・と、よく言われるけれど、本当にそうだと感じる。こればっかりは医学などでいくら説明がついても、「命」はどこで宿るのだろう?と、不思議がいっぱいだ。
 だから、自然に「授かりもの」と思うし、どんな結果になっても、それはそうなるのが関わるすべての人々にとって「幸い」なのだと、神様が采配してくれたのだとそんな風に思える。

 今、不安を抱えて過ごしているお母さん、すでに終わってしまってなおかつ自分を許せないお母さん、流産してしまうことを罪とは思わないでください。流産したと言う事実に囚われず、育たず生まれなかった赤ちゃんに囚われないでください。自分の体と心を労わり、流れてしまった赤ちゃんのことは温かな気持ちで覚えておいてあげてください。
 辛く哀しく苦しかった分、温かな愛情で心を満たし、自分や周りの人と一緒に幸せになってください。

 合掌・・・。
 

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