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2008.05.11

百か日を終えて・・・①

 義母の百か日を9日に終えた。家族だけでつつましく行うつもりだったが、近所に住む叔父(義父の妹婿)が、皆に連絡するものだと言って、叔父本人と母家の跡取りがお参りに来てくれた。
 たまたまなのだが、義母の49日が3月にあったあと、叔母の三回忌が4月の半ばにあり、叔父の三回忌が7月半ばにある。そして、義母の初盆が8月の中ということで、法事が立て続けになってしまう。ただでさえ、法事の時は一日つぶれるわけだし、それぞれ他にも付き合いがあり、また、法事と言えば、何かと物入りでもある。
 里は初盆は結構派手に法事を行うが、百か日はその家それぞれのやり方で家族だけで行っても問題はないとお寺さんにも聞いていたので、いろいろと考慮して、うちはどこにも連絡はしなかった。が、近所の叔父は、時々、義父の様子を見に来てくれていたので、百か日のことも知っていてそう教えてくれたのだった。
 上記のような理由を言うと、そういうこともあってもいいと納得はしてくれたが、やはり知っているのに来ないわけにはいかないと、母家の跡取りと共に来てくれたのだった。

 さて。
 実は、義母の死んだ時の様子を1週間くらい後から書きとめておこうと、下書きをしていた。それをブログ上で公開するかどうかは考えていず、とりあえず覚書として書いていた。
 それを書いてからすでに3ヶ月たっている。今、読み返しても涙が出てくるが・・・。
 本当は、もう、それ以上を書くのも公開するのも止めておこうと思っていた。けれど、アクセス解析を見たり、コメントやメールをして下さった内容を見ていると、やっぱり残しておこうと思い直した。
 人の「死」と言うのは何かと物を思うものである。たいしたことは何も考えられずにいるが、それはそれで正直でいいのかもしれないと、ただ、あったこと、思ったことを淡々と記することにする。

 以下、文章を分けてアップするが、先ずは、義母が亡くなる当日の深夜の出来事から・・・。

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 下記の文章を書き出したのは、義母が亡くなってから一週間過ぎた頃。その頃は、実家へ行って、白木の祭壇にかかっている義母の遺影を見るのがとても不思議だった。家に入っていくと「よう来てね。」と義母が声をかけてくれる気がした。

 1月31日深夜。午前2時過ぎに義父から旦那さんの携帯に電話があった。「苦しいから救急車を呼んでほしいと言っている。」と言うのだが、どこがなにが苦しいのか、義父も気が動転していて要領を得ない。義母が話せるかどうかを聞くと受け答えはちゃんとすると言うので、「どこが苦しいか聞いてもう一度電話して来い。」と旦那さんが義父に言っていた。
 私は初め、旦那さんへの電話は会社の誰かから仕事の話しかと思っていた。話が進むうちに義父からだとわかり、「大丈夫?」と問うと「わからない」と旦那さんは言った。
 5分もたたぬ間にもう一度電話がかかってきて、「俺ではどうしていいかわからない。」と義父は言う。「じゃあ、とりあえず、すぐに行くからな。」と服に着替えてすぐ家を出た。

 夜中のことなので実家までは10分もかからずに行ける。家に着き、義母のそばまで行くと、呼吸は普通にしていた。
 呼びかけても反応がないので、低血糖かと思い、声をかけながらブドウ糖を口に入れ、水を飲ませる。最初の一口は確かに飲み込んだが、2口目からは飲み込む気配がない。「聞こえていたら手を握って」と声をかけても反応がない。
 「意識がないぞ。」と義父に言うと「さっき、お前らが来るぞと声をかけたら、頷いて返事したぞ。」と言う。詳しく話を聞きだすと、最初に電話をかけてきた30分ほど前にトイレに行きたいと起きてきた義母を義父がトイレまで付き添い、ベッドに帰ってきたら、「足が痛い、苦しい。」と言って横になったそうだ。そして、あまりに痛がるのでどうしたのかと聞いたら「苦しいから救急車を呼んでくれ。」となったらしい。
 2回目の電話を切って、すぐに「来てくれるから少し我慢しろ。」と言ったら、ウンウンと頷いて「来てくれるんやな、良かった。」と返事をしたと言う。

 5分たっても意識が戻ってこないので、すぐに救急車を呼んだ。とっさに旦那さんが義母の目をライトで照らしたが、瞳孔が動かない。その間、ほぼずっとそばにいたが、義母はまだ呼吸をしていた。
 5分たつかたたないかの間に救急車は到着し、義母を運んでくれる。救急隊員に運ばれ、救急車内ですぐに心拍数や血圧を測るが、その時には心臓が停止していた。
 同乗していくのに、助手席に座ると「心拍停止のため、心臓マッサージを行います。」と告げられる。AEDの準備ができるまで隊員の一人が手で心臓マッサージをし、救急病院へつくまで、ずっと心臓マッサージは続いた。
 ERへ運ばれる途中も、途切れることなく心臓マッサージは続けられた。緊急処置室へ運び込まれ、医師や看護士に手渡されても引き続いて心臓マッサージは続けられていたようだ。

 5分、10分ほどして、担当してくれた医師が「万が一も考えてください。人工的に息を続けさせ、生かすことはできますがどうされますか?」とたずねてくる。なんだか信じられない思いで「一人では判断できません。せめて義父と主人が来るまで生きていてほしい。」と答えるのが精一杯だった。
 それから10分くらいして義父と主人が駆けつけた。心拍停止のため心臓マッサージをしながら運ばれて、医師から言われたことを告げると、義父も旦那さんも信じられないと言った顔をしていた。
 そりゃあ。義父と私にしてみれば。昨日の朝は、普通にしていて、病院も一緒に行って、お昼ご飯はサンドイッチをおいしそうに食べて、夕ご飯はお刺身を「おいしいねえ」と言って食べて。今日は病院に行ったから、痛い消毒はもうしなくていいねと言ったら「いつもありがとうねえ。」と笑顔をくれたのだ。「明日も夕方に来るからね。頑張っていてね。」と言ったら「うん、頑張らないとねえ。」と言っていたのだ。普通にそうして一日が過ぎて行ったのに。

 どのくらい時間がたったか、義母を運んでくれた救急隊員の人が「ご自宅からこちらまでできることはすべてさせていただきました。今、医師が診てくれていますので、もうしばらくお待ちになっててくださいね。我々はこれで失礼いたします。」と挨拶に来てくれた。
 前回はこんなことは言われなかった。それだけ、義母の容体はよくないのかと、つらかった。
 それからしばらくして、ちょうど当直だったと言う心臓外科医が経過状況を教えてくれた。
 「糖尿病と加齢による動脈硬化が進んでおり、それが原因で心臓の弁が非常に固くなっています。そのせいで、血液を送り出すのに心臓に大きな負担がかかったと思われます。」と言われ、旦那さんが「意識がなくなる30分くらい前にトイレに行った。」ことと「救急隊員が来るまでは息をしていた。」ことを話す。
 もしかしたら、トイレに行って急に寒いところに行ったこと、救急車まで運ばれる間に外気に触れたことが原因の可能性が高いかも知れないと、思い至る。
 「強心剤などを使い心臓を動かし、人工呼吸器を入れ、生かすことはできす。心臓が停止していた時間は短い方ですが、意識が戻る確率は非常に低いと思われます。また、お年と既往歴から判断すると、意識が戻ってもご自分の体力で心臓を動かすことは難しく、それによってご本人の望まれない結果になる可能性はとても高いと言わざるを得ません。」と、そのような内容のことを医師は私達に気を使いつつ、ゆっくりとわかりやすく言葉を選びながらそう話してくれた。

 お正月がすんでから、左足の傷がひどく痛み、とうとう壊死を起こし始めていた義母。痛くて痛くて、その苛立ちから義父に悪態をついたり、ものすごく落ち込んだり、苦しんでいた義母。それでも、足を切りたくない、この家から出たくないと頑張っていた義母。入院は絶対イヤだと、痛いのに痛いと言うのを我慢していた義母。
 そんな義母を思い起こすと、可能性のない延命措置を行うには忍びなく・・・。義父も旦那さんも、自然に任せる事を選んだ。
 「今日(31日)の昼が峠です。それを乗り越え小康状態になれば、数日。それを超えれば時間はわかりません。けれども、こう話しているうちにも心臓が止まる可能性も充分考えられます。会わせたい方がいらっしゃるなら、すぐに連絡して来てもらってください。」と医師は言った。
 
 時間を見ると午前5時前。家を出る前に目を覚まして様子を見に来た長女に行ってくると言葉をかけたけれど、こんなことになっているとは知らずに眠っているだろう。
 それでも、早ければそろそろ長女は起き出してくる時間だったので、旦那さんが電話をして子ども達を迎えに行った。
 その間、看護士が入院のために、日頃の様子や既往歴、通院していた病院などの説明を義父と二人でする。いつ亡くなってしまうかもしれない義母のために、看護士はいろんなことをきめ細かく聞いてくれた。

 午前5時半ごろ。子ども達がやってきた。意識のない義母を見て、二人とも涙ぐんでいた。
 午前6時をまわって、実家の両親や義母の姉弟、義父の親戚に連絡をする。長い廊下に朝日が差し込みはじめる。オレンジ色の太陽の光が廊下を染めて、とてもきれいだった。
 病室を整えてもらっている間に、担当医師からもう少し詳しい説明を聞いた。義母の症状は大動脈弁膜症と診断された。もし、もっと早くに自分のような専門医が診察していても、早かれ遅かれ同じような症状に陥っただろう、もたせてあと2、3年。と医師は言った。
 秋口に入院した時。かかりつけの医師が、義母の体力・内蔵機能は実年齢より10歳上だと思ってくれと言っていた。認知症と糖尿病、脳梗塞に甲状腺。それらを考え合わせると、いつどうなるかもわからないとも言われた。
 覚悟はあったものの、こんなに早く・・・と思う。足を切断してまで生きながらえてくれるとは思わなかったけれど、せめて一年。せめて夏まで。せめて春まで。そう思っていたのに。

 義母の姉弟は近辺にはいない。おまけにすぐ上の姉に当たる人は、ご主人が介護が必要な身の上なので急には来れないと言う。一番下の弟がご夫婦で伊勢から駆けつけてくれた。
 義父の親戚はみな近くにいるので、おじ達は出勤前に来てくれたし、一緒に来てくれたおば達は結局最後までいてくれた。
 旦那さんと二人、ずっと義母のそばにいた。意識がなく、人工呼吸器で生かされている義母だったが、声は聞こえているからと、いつものように話しかけた。
 私一人になった時、義母の頭をなでながら、「ありがとう」と話しかけてた。「旦那さんを産んでくれてありがとう。立派に育ててくれてありがとう。結婚させてくれてありがとう。娘にしてくれてありがとう。介護させてくれてありがとう。親孝行させてくれてありがとう。」いっぱいいっぱいありがとうを言った。

 と、ここまで読み返してやっぱりまだ泣けてくるなあ・・・。

 どちらにしても義母はもう行きつけの病院にも通うこともできないだろうし、デーサービスも利用できなくなる。とりあえずケアマネージャーに電話をして、経過を説明している途中、長女が呼びに来た。
 それこそ、糸が切れたみたいに心電図の動きがなくなったみたいだった。

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Comments

そうか。まあ、そういうことなら離れるのも一つの手だよ。
泣き言は言ってもいいけれど、それで自分が落ち込んじゃあ本末転倒だしね(^_^;)
まあ、苦にならない程度にまた吐き出しに来てください。
本当に、人はただそこにあるだけで素晴らしいのです。蒼穹さんもね。もちろんのことです(*^_^*)

Posted by: 管理人 | 2008.05.12 at 08:28 AM

ミクシーはねぇ、みんなが楽しんでいるのを読むのが辛い。
泣き言もでそうだし。
それに、気を使わせるし。

Posted by: 蒼穹 | 2008.05.11 at 11:17 PM

蒼穹さん、ミクシィやめちゃったんやねえ。
いろいろあると思うけれど、静かな最後を迎えられるように生きていかなあかんと思う今日この頃。
折り返したけれどまだまだ先は長いで。頑張ろうなあ。

Posted by: 管理人 | 2008.05.11 at 10:29 PM

うちの父方の祖母のときは、動脈瘤破裂ですごく痛がって亡くなったそうだ。

おいらも、くじけそうになって、投げやりになりそうなことがあるけれど、頑張らんとなぁ。
痛い思いはしたくない。

Posted by: 蒼穹 | 2008.05.11 at 09:56 PM

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