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2008.05.12

百か日を終えて・・・②

 心臓が止まってしまった義母の元へ駆けつけ、義母を呼んだ。もう、深夜から呼んでも答えはしてくれなかったが、本当に息が止まってしまったのだなと、こみ上げるものをこらえることはできなかった。
 まるで、本当の母を亡くしたように哀しくて寂しかった。何度も何度もその髪を、その頬をなでながら、ただ、泣くしかできないものだ。

 けれど、亡くなってしまったら、急に時間は動き出す。葬儀の段取り、死亡の手続き、親戚筋・会社関係・学校関係への連絡。急なことだったから家の掃除から、いろんな道具類の手配。
 一人っ子の旦那さんゆえ、親戚づきあいを疎遠にしていた義父母ゆえ、段取りがわからない。私は特に義母から何も教わってなかったので、最近の親戚の法事や葬式の流れを思い出すしかなく、なにを用意してなにを段取りしていけばいいのかまったくわからなかった。
 親戚筋も自分の実家も宗派が違い、里のしきたりとは違うので、大まかなことは参考になっても、やはり細かいことはよくわからない。
 後で考えれば、「向こう三軒両隣」という付き合いをしている里のこと、お隣の奥さんなどに詳細を聞けばもっと段取りも楽にできたのだろうけれど、その時はそんなことは思いつきもせず、ばたばたしていた。
 家の中も片付けたとは言え、それは義母を介護するための片づけだったから、葬儀関係の道具類がどこにあるかなどはよくわからず、それを探すのも大変だった。
 お寺さん用の座布団・湯飲みから、集まってくれる人々に出す食器類、座布団、枕経をあげてもらうための道具類、すべてがどこにあるのかを探さなければならなかった。義父の「老い」を痛感する瞬間だった。

 この時に、自分は胸痛と頻脈で救急外来を受診したわけだが、その時は「頼りの義父はまったくあてにならず、誰にもヘルプを頼めない~。」と、気を張っていたのだろう。
 義父母のことで、いろいろ含みのあった義父側の親戚も、義父の頼りのなさと私達夫婦の必死ぶりとに驚いて、翌日には遠慮がちではあったけれどあれやこれやとアドバイスをくれるようになった。
 まったく、ありがたいことだと、心底感謝した。とにかくわからないことだらけなのだ。法事関係を何度も経験しているおばさんや従兄のお嫁さんたちのアドバイスが頼りとばかり「おせっかいと思わず、何でも教えてください。後からでも今すぐでも先回りしてもいいからあれもこれも一から十まで、何でも教えて。」と頭を下げた。
 そのせいか、お通夜が終わり葬儀が終わり、初七日を終えた頃には、ぎこちなかった親戚がずいぶんと打ち解けて話してくれるようになった気がする。(49日の法要の時にはすっかり親しくしてくれ、続けてあったおばの三回忌の時にもずいぶんと気さくに接してくれるようになって、ありがたく思っている。)

 湯灌の時、葬儀屋さんから思ったよりも若いスタッフが事に当たってくれた。死んだ人は重いだろうに、若い女性と男性スタッフの二人はもくもくと丁寧に仕事をこなしていく。親族が最後にお湯をかけ、身を清め、死に装束に着替えさせる。
 その姿を見ていても泣けてきて仕方ない私に、女性スタッフが一緒に着せてあげてくださいと足袋を履かせるのを手伝わせてくれた。壊死を起こしていた足に足袋を履かせる。「もう痛くないねえ。」と言葉が出て、何度も撫でて「頑張って極楽まで歩いていくんだよ」と声をかけた。

 お通夜も葬儀もたくさんの人がお参りに来てくださった。約200人あまりの方がお参りに来てくださり、本当に感謝している。
 旦那さんの会社関係の人が多く来ることがわかっていたので、私は自分の友達には本当に最小限しか連絡しなかった。比較的近場に住む親友と、先年父上を亡くした近所の友人(こちらは葬儀に出させていただいたし、友人家族だけでなく、その母上様とも懇意にしていただいているので)にだけ連絡した。寒い夜だったけれど、お通夜に来てくれてありがたかった。
 旦那さんのジープ仲間もたくさん来てくれて、久しぶりに会う彼らの顔を見て、年の流れを感じたりして・・・。

 お通夜も葬儀も立派にしていただいて、息子大事だった義母は喜んでいるだろうと思った。棺に横たわった義母は、従兄のお嫁さんにきれいにお化粧してもらって、病んでなくなったとは思えないほどしかっりした顔つきだった。
 今にも起き出して何か言うのではないかとそんな風に思える。そこに棺はあるのに、集まった家族の中に義母がいないことが不思議で、家に帰ったら「留守番していたよ」と義母がいるのではないかとそんなことを思ったりもした。

 お経を上げている最中も、棺の顔を見ているときも、後から後から涙があふれてきてどうしようもなかった。
 あわただしく葬儀の準備や弔問客の相手をしているときはそうでもないし、その場を離れてしまえばまた違う。けれど、読経が始まると義母を思い出して泣けてくる。
 もう、いないのだなあ・・・と、もう、傷の手当ても病院の付き添いも、晩ご飯の用意もお風呂の介助も、全部、全部、することはなくなるのだなあ・・・と。

 3人いる義母の姉弟で、死に目に会え、お通夜も参列できたのは、伊勢の叔父だけだった。死に目に会えなかった、一番仲良くしていたすぐ上の姉に当たる叔母は、お葬式の当日、棺の中の義母を見て「自分より先に逝っちゃって・・・。」と泣いていた。
 葬儀も終わり、棺に花を敷き詰める。眠ったような義母の顔。本当に不思議だった。

 焼き場へ行って、これが最後のお別れという段になっても、今行われていることが事実と思うのは不思議な感覚だった。花に囲まれて眠るような義母は静かに焼き場へと入っていった。

 お通夜もお葬式も焼き場で待っている間もそうだったけれど、従兄の子ども達が小さいものだから、きゃあきゃあとそこらじゅうを走り回っている。「じじババの葬式は孫の祭り」とこの地方ではよく聞く言葉だが、本当にそうだなと思って子ども達を見つめる。幼い子ども達は誰が死んで誰が哀しんでいるのかもわからないのかもしれない。

 突然とは言え、一般的に見たら歳相応にあの世に逝った義母。誰も彼も寂しいと思いこそすれ、引き裂かれる別れではなかったからか。
 先年なくなった叔父も歳相応だったから、今と同じような雰囲気だったことを覚えている。それに引き換え、交通事故で突然亡くなってしまった叔母の葬儀は、誰もが沈痛な面持ちで言葉すくなだった。

 義母は亡くなる前の日まで壊死した足が痛み、本当は泣きたいくらいつらかったに違いない。治療をすれば悪くはならないが、良くはならないことも漠然とわかっていたのだろう。こんな痛みから逃れるためなら、こんな情けない思いから逃れるためなら、早く死んだほうがましだとこぼしていたし・・・。
 後からも何度も思ったけれど、そんな義母を思うと、このタイミングであの世へ逝けたことは義母にとっては幸いだったのかもしれない。そんな思いが家族の中に少なからずあるせいか・・・。

 焼き場から出てきた義母はきれいに骨になっていた。しっかりした体格の人だったからか、骨もしっかりと残っている。
 人は死ぬとこうなるのだな・・・。ただ、寂しいとそればかりだ。
 旦那さんは骨になった義母を見て、どこかすっきりしたと言っていたが、私はちょっと違うなと思った。
 ただ、無性に寂しい。哀しい・・・と言うのは少し違う。できることはなんでもしたし、自分の怠惰さに負けないよう頑張った。真実、義母の本当の気持ちを知ることもわかることもなかったろうけれど、せめてその心に寄り添えるように頑張った。

 いないことが寂しいと、心底思う。

 ああ、人は、ただそこにあるだけで、本当に素晴らしいのだと、心から思う。

 義母は旅立って逝った。苦しみも痛みもない世界へ。願わくば生前の一番きれいだった、一番元気だった姿で、後から逝く義父を迎えてあげてほしいと思う。

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