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March 2013

2013.03.30

車いすは使わない

 最近は介護&看護が中心の生活になっているので、自分の趣味とか遊びについてのネタはまったくない。
 まあ、そんな時期もあるものと随分前から思っていたので、いつも遊べるときに遊んどこ~と、遊んでいたが…。それについては良かったよかったなのだが、遊んでいてあまり貯金をしていなかったのが、今になってちょっと痛手。
 大学へは行かないだろうと思っていた下の子まで4年制の大学へ行くとなって、将来の貯蓄計画も大幅に変更せざるを得なかったのも痛手の一つだ。
 しかし、子どもを育て上げ、支援するのも親の務め。上の子も下の子も遊びに大学へ行っているわけではなく、学費と交通費以外はすべて自分で賄っていて、けして親におんぶに抱っこされているわけではない。(特に下の子はファッション系の大学なので、実習にかかるお金が結構いるが、それはバイト代で賄っている。上の子は大学卒業後、専門学校に行くがそれは学生時代にバイトしたお金で学費を自分で出していく。)
 下の子が卒業するまであと2年。何としてもそれまでは、あれもこれもバランスを取りながら両立させていかねば。

 3月25日
 義父は無事に?退院できた。病気的にはきっちり治しての退院だから、そうそう心配することはなさそう。
でも、安静第一に過ごしてきたので、約三週間ずっとベッドの上。だから、足腰が全く立たず。まず自分でベッドから起きられず。寝た状態から身を起こすことができない。何とか起こしてもらってもそれを自分で支えられない。
 ベッドから立とうとしても立ち上がれない。立ち上がったら立っていられない。結局、車いすで自動車まで移動した。
 家に帰ってからが大変で、家には車いすなどないし、玄関まで階段もある。なんせ立っていられないんだから、抱えていくしかなくて。旦那さんがおんぶしていこうとしたけど、体が固くなっていてうまくおぶさることもできない。結局、旦那さんが背中に背負い、上の子が後ろから抑え、私が前から義父の手を引いて部屋まで運んだ。
 どうしよう。。。と真剣に思ったが、夜、リビングから寝室への移動時は、自分でイスから立ち上がることができ、支えがあれば5分程度なら自立できるようになったので、ちょっと安心。しかし、足が前に出ず、歩行は手引きでも困難な様子だ。
 車いすやスロープのレンタルを考えなくてはならないか。介護計画も立て直さないといけないか。いろいろ考えることがあって、本当に頭がパンクしそうだ。

 3月29日
 退院の翌日、義父を一人で置いておくのは心配なので、ショートステイとデーサービスと通所リハビリを火曜水曜木曜金曜で組んでもらった。
 行き帰りを心配したが、さすがに介護のプロたちは動じることもなく、サクサクと行動し義父をうまいこと誘導してくれた。
 火曜から木曜の状態を見て、心配してくれたケアマネさんが車いすとスロープをレンタルする手配をしてくれて、木曜日にデーサービスの人とケアマネさん、福祉用具レンタルの担当の人と玄関であれやこれやと考えてくれた。
 が、連日のショートとデーが功を奏したのか、金曜日のリハビリには少し回復していたようで、リハビリ担当の方によると、歩行器を使えば前進歩行もなんとかできるし、階段の昇降も手すりを使えばできるようだと報告あり。それで、せっかく手配してもらった車いすとスロープはキャンセルして、歩行器や手すりを使う方法を考えることにした。
 関節が固くなっていてうまく動かせないのだ。観察していると横移動や上下移動は手すりにつかまっていればできるのだが、前への移動ができない。足が上がらないし、前に足を出せないのだ。体幹バランスをとることもできないのだろう。そのせいか、下半身の着替えや靴下をはくことが一人ではできなくなっている。
 車いすを使ってしまうとかえって歩くことを放棄しそうなので、本人には大変だと思うが、しばらく、家では手引きや手すりを使った歩行、リハビリでは歩行器を使った歩行、デーでは車いすと、体力がつくまで柔軟に対応していくことにした。
 食も細くなっているので、嚥下などがしにくいのではないかと思うが、これも、うどんや茶碗蒸しなど食べやすいものから始め、じょじょに普通の食事がとれるように段階を踏むことにした。
 高齢になると、一回の入院が大変なダメージとなる。今から暖かくなるのが救いだ。


 さて。親父のほうはどうかというと、おかげさまで小康状態を保っている。一時退院の前後から泣いてばかりの状態を見て、さすがにこんな風にナーバスなのは良くないんじゃないかと思っていたら、主治医も同じように判断してくれて、一度うつ状態になっていないか精神科の医師に診てもらうように手配しくれた。
 モルヒネのせいでもあるのだが、こちらとの意思疎通がほとんどできない。親父にはいろいろな思いもあって、体も動かず、痛みが持続し、体力的にも精神的にも相当なダメージがあるはずだ。少しでも楽にいてほしいと思うので、できることはなんでもチャレンジしていきたい。
 親父が動けなくなってから、ずっと病室に泊まり込んでいた母だが、その様子を心配してくれた看護師や医師の勧めで、先週あたりから夜は自宅に帰ることにしている。
 家に帰っても温かい雰囲気は少ないだろうが、それでも、夜はゆっくり眠れるし、弟家族もいるから何となくはふれあいもある。(弟は仕事帰り親父の病院によってくれるし、姪っ子の上の子は就職したので帰りが遅く、下の子は塾でこれまた帰りが遅い。帰ってもしばらくはお嫁さんしかいないので、そんなにベラベラ話をしたりはしないだろう。)
 ここ数日は、母が夜なら家にいるのがわかって、ご近所さんが時々たずねてくれるそうだ。そんなささやかな時間も母にはしっかり心の支えになるだろう。

 私といえば、4月から勤務を一日おきにしてもらった。月末月初や忙しいときは、曜日に関係なく出勤するが、基本的に火曜日と木曜日を休みにしてもらった。
 火曜日は義父がリハビリの日で、9時ごろから4時ごろまでいないので、その時間は親父の病院に行くことができる。実質は4時間程度だが、その間でも母の用事のある時は変わってあげられる。買い物や他の用事は木曜日にすることができる。少しは楽になるかな。
 そんなこんなで、その時その時で考えながら対応していこうと思う。
 

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2013.03.17

気晴らしになったか?

3月17日
 義父は朝夕に抗生物質の注射を続け、ようやく既定のクールを終わった。週明けしばらくして、検査をし、その結果が良ければいつでも退院となるそうだ。
 とりあえず、こちらはほっと一息。なんともはや、ドキドキしつつもこの時期に入院してくれたのは不幸中の幸い?だった。

 さて、今日は母が入院した後の家の片付けを少ししたいし、入院中ずっと付き添っているのでお風呂も入りたいということで、弟が付き添ってくれているうちに、母と下の子と病院を出た。
 病室に入った時、親父は親父で泣いていたのだが、母も母で泣いていた。下の子がどうしたの?と聞いてもはっきり答えなかったが。
母にははっきり父の余命は伝えていないが、それでも悪性リンパ腫で祖母を見送った母には親父の容体がわからないままでも察してしまうのだろうか。もし親父が思うより早く死んでしまったら…とか、この期に及んでも親父の気持ちを察してあげられないことがもどかしいとか、どうしようもなく不安になってしまっているとか。
 病室にいるときは沈んだ状態の母だったが、お昼ご飯を食べて、お風呂代わりに銭湯へ行き、家で用事をする頃には気を取り直していたが・・・。
 
 余命がわかっているとはいえ、こればかりは確定できないところが難しい。なんだかんだと言っていても、一年以上先かもしれないし、逆に明日にでも息を引き取るかもしれない。長引けば、今の母には相当酷なことだろう。精神的にも肉体的にも疲労がたまって良いはずはない。

 本当に、うまく息抜きをしていかないと皆が参ってしまう。どうしようなあ・・・。

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2013.03.16

再入院しました

3月15日
 前日、始終機嫌よく過ごした親父は、病院に戻るのが嫌で寝るまでずっと泣いていた。あまり泣きづめなのがかわいそうで睡眠薬を飲ませて眠らせたが、午前4時ごろに親父は目覚め、結局朝まで泣いて過ごした。
 朝、訪問看護師とヘルパーの人がやってきて清拭や再入院の準備をしてくれる。そのうち介護タクシーが到着して(このドライバーさんが俳優の相島一之さんに似ているので、一人でテンションアップ(^^;)ストレッチャーが運び込まれる。
 親父は再び、家を出て、入院した。病院へ着くと、なじみの看護師さんたちが口々に「お帰り~、またよろしくね。」とか「お家はたのしかった?また帰れるといいね。」とか言いながら迎えてくれた。
 主治医も夕方、顔を見せてくれる。主治医の顔を見るなり、親父は泣き出したが、それがなぜなのかはわからない。私と母は「たくさんの人のおかげで家に帰ることができました。滞在中はご機嫌で歌を歌ったり話をしたり、泣いたり笑ったり、感情豊かに過ごせました。それが自分たちの心の支えにもなります。ここに戻るのが嫌でずっと泣いています。」と話した。主治医は「帰れてよかった。痛みもコントロールできているようだし。また、帰れるようにいろいろ考えてみるから。」と言ってくれた。

 家を出る前に、訪問看護師の人も「うまく介護&看護できていたから、これならまた家に戻ることも可能かもしれない。今は介護保険をうまく使えば、お子さんのいないご夫婦でも自宅で過ごせる方も多い。」と話してくれた。
 自宅看護でも病院でもサナトリウムでも、一か月にかかる金額はそう変わらないような気がする。
 金銭的なことを言えばどこでも一緒だ。安心を買うなら病院だろう。緩和ケアを望むならサナトリウムだ。
 また自宅へ一時退院できる可能性は高いが、帰宅し再入院するたびに「もしかしたら二度と家に戻れないかもしれない。このまま死にたくない。ここにいたい。」と悲痛な思いを親父に抱かせるのが良いことなのか。
 何もかも横へ追いやって、一分一秒でも慣れ親しんだ自宅で、家族やご近所の友達、日常に触れながら毎日を過ごすことが良いのか。
 たとえば、親父が自宅を希望して帰ってきたとして、介護保険を使いながら、本当に母一人ででも親父を看護できるのか。
 

 何でも一人で決めてしまえれば楽なのかもしれない。母の気持ち、弟の気持ち、弟の嫁の気持ち、私の気持ち、私の家族の気持ち、そして当の親父の気持ち。そのどれを優先してどれを最重要視するのか。
 あんまりいろいろあり過ぎて、いろいろ起こり過ぎて、頭がパンクしそう。
 

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2013.03.14

夕方は下降気味

3月14日
 意識がしっかりしているときの父は、頭もはっきりしているので、自分の現状もよくわかるようだ。今、点滴の管がつながり、尿道カテーテルを施されている我が身をきっちり把握して、身動きできない状態であることも理解する。癌が脊髄を圧迫しているので、下肢もマヒしていることもわかる。
 わかるだけに、とてもつらく情けないのだろう。
父「こんなになったら働けない」
私「こんなになったら働けへんなあ」
父「いくつになっても働きたい」
私「男の人はいくつになっても働きたいと思うんやな。」
父「そうや、こんなになって、その人の気持ちはわかるけど。」
私「こんなになった人の気持ちはよくわかるんやったら、そういう人の話を聞く仕事はどう?」
父「そうやなあ、そういう仕事もあるわな。」
私「そういう仕事もあるな。自分がこんなになったんやで、そういう人の気持ちがよくわかるで、きいてあげたら、その人たち喜ぶで。」
父「そうかもしれへんな。」
私「そうやに。そやでもっと元気にならんとなあ。」
父「そうやけど、そういうのは理屈ではわかるけど、やっぱりいやや。」
そういって、父は泣き出す。
私「そう、理屈ではわかるけど、やっぱり嫌なんやな。」
父「いやや。」
そんなふうに、ぐずって、すねて、泣いている。
 どうしようもなく、聞くしかない。これが傾聴と理屈でわかっているけど、ちゃんと傾聴なんてできないなあ。それこそ、理屈ではわかるけど・・・だ。
 つい、励ましたくなる。つい、叱咤したくなる。がんばれと言いたくなる。

 

 今日は、午前中、知人も来ていたし、よく眠って疲れもなかったのか、始終機嫌が良かった。午後からもそれはある程度持続していたが、夕方ごろから段々と下降気味。
 ぐずぐずと、ずっとぐずっている。

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今日は少しだけご機嫌

3月14日

 初日の移動といろいろな来客との会話をそれなりに交わした親父は、とても疲れたのか昨日はほとんど意識のない状態だった。
 昨夜は痛み止めと睡眠薬を午後10時ごろ処方した後は、朝5時ごろまでぐっすり眠っていた。母もゆっくり眠れたようだ。
 今朝は少し元気も出たようで、朝から脈略もなく話をし、白湯・コーヒー・重湯・アイスクリームなどを少しずつだが口にした。時系列も状況背景もむちゃくちゃだが、言葉のやり取りはできる。
 実は、怒られるような話だが。
 今年のお正月に旦那さんが親父のためにおいしい焼酎を買ってきてくれた。親父はもったいながって「取っておくわ」と飲まずに置いてあった。
 それがこんな事態で、これから先は自分でアルコールなど飲む事はできないだろう。それでも、一口でも一滴でも飲んでほしいと、旦那さんは言っていた。
 なので。今朝、焼酎の封を切り、焼酎1お湯2の割合のお湯割りを作り、小さじに半分だが口に入れてあげた。
 親父はびっくりしたような顔をして「なんや?これ」と言うので、「旦那さんがお父さんにどうしても飲んでほしいと買ってきてくれた焼酎や。」と答えた。すると「そうか、残りはお前が…」と言いかけて、「やっぱり言わんとこ。せっかくくれたやつやでな。」とつぶやくように言った。
 そうか。わかったよ。これは取っておこう。いつか、親父を見送る時に、皆で飲むことにするよ。
 早いもので明日の昼には再入院をする。あと24時間あまり。何事もなく過ぎていけばいい。

 今は、顔なじみの知人が来てくれて、痛みもあまりなく、機嫌がいいのだろう。鼻歌を歌うようにして、笑ったりしていることもある
 きっと。たぶん。帰宅して良かったのだと思う。
 特に母には。日常生活をしながら、親父の看護をして、楽しい思い出も少しはある。
親父のためにいろいろなことをしてあげられたことが、これから先の支えになるはずだ。

 このひとときを与えてくれたすべての人々に、心から感謝を。

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2013.03.12

退院2日目

3月12日
 健康保険の関係で一時退院を勧められた。と言うのが、表向きの理由。もちろん、それも事実の一つには違いないが。
 母に本当の余命は言えないから、周りの人や親せきの人にもそう話す。すると、半分くらいの人は、その理由の裏側にある事情を察して「退院できてよかったね。家で過ごすのは本人にも家族にもいいことだから、頑張ってね。」と言ってくれる。しかし、残りの半分は「病院の都合で、無理に家に帰すようなことして大丈夫?」と言う。
 確かにね。父を自宅に帰すなど医師や看護師の立場で、データから見たらちょっと首をかしげるような状態ではあるようだ。
 もちろん主治医も担当看護師のみなさんも、そんなことは百も承知。その上で、私たちの希望をきいてくれたのだ。
 主治医はかれこれ10年近く父を診てくれている。最初に直腸癌を発見した時からの付き合いだ。頑固で人の意見を聞かない、わがままな父が、この医師ならと信頼し自分の体をゆだねてきた。主治医は父を最後まで自分の手で診て、見送ってくれるつもりだろう。
 私たちも主治医を信じて、自分たちのできることをする。見たことも触れたこともない機械を管理し、通常では手にしない薬を投薬する。入院中、ナースがしてくれていたように熱を測り体位交換をする。そうしたことを淡々とし、日常を生活する。
 父は、今、痛み止めを注入し、睡眠薬を飲んで深い眠りについている。しばらくこのまま眠るだろう。
 私たち家族は、この一時退院を大切な思い出にすると思う。たくさんの人にありがとう。本当にありがとう。

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2013.03.11

父、帰る

 2年前の今日も義父は肺炎で入院していた。くるくると円を描くような揺れを感じた2時間後、義父の病院のテレビで見た映像は衝撃的で、忘れることのできない光景だった。
 亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、今なお通常の生活に戻れない30万人を超える方々を抱える現地の復興を祈念する。
 そして、今、生きていることの尊さと幸福をかみしめつつ、父の看護をしている。

3月11日
 父は、たくさんの方々の協力の下、一時退院することとなった。午後1時ごろ、病院を出発し無事に帰宅したそうだ。私は、週中から週末にかけて実家に泊まりに行くためこの日は弟と母に任せ、夜だけ顔を見に行った。
 父は最初、そこが自宅とわからない雰囲気らしかったが、すぐに帰宅したことに気が付き、泣きだしたそうだ。
 嬉しかったのだろう。笑ったり泣いたり歌を歌ったりと、おぼろげな意識の中でもそうして感情を解放していたようだ。神棚にむかって拝み、祝詞も上げていたそう。
 夜、顔を見に行ったときはちょうど意識が行きつ戻りつしていた時だったので、「お父さん、お帰り」と声をかけた。「ただいま」と父。「良かったね、家に帰れて。」というと、「良かった、良かった」と泣きだした。
 しみじみ、退院を決意して良かったと思う。一時的とはいえ、この状態なら3日間は家で過ごすことは不可能ではないだろう。半分、意識がないとはいえ、自宅で家族が普通に暮らす横で眠る父。きっと、安心して眠れることだろう。
 このまま、ずっと家にいられればいいのだけど…。そうもいかないのだろうな…。
 
 今回の退院は本当にたくさんの方の協力があっての実現。それを忘れないよう、私たち家族もしっかりと父との時間を過ごそうと思う。

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2013.03.04

退院と入院

 親父の退院、今度の日曜日10日に一応決定。最低3日は自宅で過ごせるよう、いろいろ考えてもらっている。

 今は、薬が効いていると、違う世界で、昔少年団で教えていたサッカーをしていたり、故郷のことを言っていたり、思いついたことを言ってみたりしている。
薬が切れて、こちらの世界に来ると、その時にしてほしいことを言ったり、孫に会いたいとか今どうしている?と言ったりする。

 いったい、どこをさまよっているんだろう。
 痛みを緩和しようと思えば、違う世界に行かざるを得ないんだろうな。医療の限界と言うか、人間の化学や医学に対するおごりのようなものを感じる瞬間でもある。どれほど、進化しても、どれほど思いを募らせても、「死」を止めることはできないんだなあ・・・。

 それなら、生きている時は、生きている時の想いの精一杯で、できることをするしかないのだろうと思う。
 まだまだ、できることはあるはず。
 時々は「こんな事には負けないぞ」とつぶやく親父。
 そうだよ、まだまだ、できることはある。

などと言っていたら!!!!

 なんと、義父が肺炎で入院してしまった。
 昨日の夜、寝る準備をしていた時、足の運びが悪いなあと言うのと息が荒いなあと言うのを感じた。しかし、これは、週末二日間、動かず過ごしているとよくあることなので、様子を見るにとどめたんだね。
 夕食もあまり食が進まなかったようだけど、好きじゃないおかずの時はよくあることなので、これまた様子を見ることに。
今朝はわりにはっきり返事をして起きてきたし、着替えもそんなに時間がかかることもなく、やはり足の運びは悪いけれど、歩けないわけではなく。
 でも、やっぱり気になったので、デーサービスに行く時に、お迎えの人に様子を見てくれるよう頼んでおいた。そしたら、デーでも様子をしっかり見ていてくれていたようで。
 10時過ぎに、具合が悪そうなので熱を測ったら37度を超えているので病院へ行った方がいいと、連絡あって。
 急いで帰って、デーまで迎えに行き、その足で病院へ。
今日は主治医が外来ではないので、別の医師に診てもらったけれど、インフルエンザではないとわかって、かえって心配だからと、まずはレントゲンと採血。
 しばらく待っていると、CTも撮りますと言われ、これは入院かも・・・と思っていたら、案の定。
 両方の肺に水がたまり、炎症を起こしている。ある程度の年齢の人でも、もともと健康な人なら、点滴に通い安静にしていれば問題ない程度だけれど、高齢であること、心臓のペースメーカーが入っていること、糖尿病があることを考えると、万が一の可能性も高いので入院するように言われた。
 義父を病院にたくし、入院に必要な物を取りにいったん帰宅。昼ご飯を食べて、病院へ再度行くと、主治医がいてくれて説明してくれた。
 大筋は、外来で受けた説明と同じだったが、もう一つ付け加えられたことは、「薬が効けば問題ないけれども、2,3日して薬が効いてこなければ、万が一もあるかもしれない」と言うこと。
 なんですとー?!
 昨夜も義父に「実家の親父ががんで死にそう。おじいさんまでいなくなったらさみしいし悲しいで、頑張って長生きしてよ。えらかったらすぐにいわなあかんよ。早めに病院行ったら早く治るしな。」と話し「そうやな。気をつけるでな。」と言っていたところなのに!
 もう、なんてこと!
 親父が一時的でも退院してくる話の時に、義父が入院!
 いや、もしかして。義父は義父なりに気を使ったのか?10日に親父が退院と言う事は、その後の3,4日間、私は実家へ泊りこみ。そうすると、残った家族が大変だから、ショートステイしてもらおうと思っていたんだけど。急な話なのでショートステイができないかもしれない。そうしたら、私も旦那さんも子どもたちも、結局は義父も大変。
 今日、入院と言う事は2週間ほどは退院できないだろうから・・・。変な話、ちょうどいい???
 いやいや、それで、薬が効かなくて、義父が先にあの世に行ってしまうなんてことがあったら、それはそれで、いやだ。大変だ。さみしいじゃないか。悲しいじゃないか。
なんとしても、両方の親父にがんばってもらわねば…!
 先にあの世に行ったお義母さん、おばあちゃん、二人にまだ来るのは早い!!って追い返してね。
 まだまだ、こっちで頑張ってもらわないとだめなんだから!

 と、いうことで、なんだか落ち着かない日が続くのであります…。

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2013.03.01

一度、家に帰ろう

3月1日。
 主治医が言うには。
今がこの10日余りの間では一番安定している。家に帰したいと思うなら、今がその時。一度、退院と言う形を取り、2日でも3日でも家で過ごしてください。もちろん、それには相応のリスクと責任、覚悟を伴います。希望するならソーシャルワーカーと相談できるよう手配します。
とのこと。

 要は、
これ以上は良くならない。今を逃すと、家に帰ることは二度とできない可能性が非常に高い。そして、家に帰るにあたっては、いつ何が起きるかわからない。万が一があっても、それに対して覚悟をしろ。
朝、退院して、その夕方にまた入院するとか。意識をある程度保ったまま朝退院して、帰宅したことに安心したら、昼からは薬でずっと意識を落としてしまうとか。退院してほっとしたのも束の間、急変して息を引き取るとか。
そういうことも理解した上で、実行しろということと思う。

 癌の傷みが激しくなるにつれ、立てない、足が動かせない、起き上がれない、その現実に打ちのめされ、悔しがり落ち込んだ親父。
 薬で意識がもうろうとし、しかし、薬に頼らなければ、耐えられない痛みにのたうちまわる。このまま、何カ月?と思う。
 退院することで、もし、容体が急変してそのまま息を引き取ったとしても、受け入れられるのではないかと、弟と話し合った。

 母にも当の親父にも、それは不本意なことかもしれない。
 本当は、親父にはもっと言っておきたいことも、後始末しておきたいこともあったはずだ。それをできずにこの世を去ることは、本当に心残りで辛いことだろうと思う。計り知れない思いがあると思う
 それらを自分たち姉弟の思いだけで、事態を決定していいのかどうかはよくわからないが・・・。

 そういう風に方向を決めても、明日にどうにかなってしまい実現不可能になるのかもしれない。もっともっと親父が頑張って長く生きるのかもしれない。

 でも、今日、親父は言った。
「僕はこんなところに長くはいたくないのです。」
 そうか。そうだよね。
 一度、家に帰ろう。
 一晩だけでも、数時間だけでも、親父が建てた家に帰ろう。

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