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2013.06.15

下の世話で「ありがとう」

えっと。いわゆる「下の話」なんで、食事中とか食事前の方は後で読んでね(^^;

高齢になると、排せつが自分の意識通りいかないことが多くなってくる。特に認知症になるとコントロール自体もできなくなってくるし、排せつしたという自覚もなくなってくる場合がある。
さらに、認知症の場合、粗相をした後、それを適切に処理することができなくなる。
粗相をして汚したから片付けなくてはならないことはわかるのだが、それをどうすればよいかわからなくて、汚物を隠したり、洗面所で洗ったり、壁に塗りつけたりしてしまう。でも、これはわざとじゃない。
と、いうことで、介護をしてくれる人にいわゆる「下の世話」をしてもらうことになる。

「下の世話」をしている介護するほうも、できたら「下の世話」なんざやりたくない。下着やリハビリパンツ、おむつや服などについたものを拭いたり洗ったりしたくない。
臭いはすごいし感触は嫌だし、それが床や畳やトイレ中にあった日には、目の前真っ暗になる。
私は、トイレの床に固形物が落ちていたときは、真っ暗になる前にパニック起こして、思わず両手あげて踊ってしまった。そう、沢田研二の勝手にしやがれのように(古)

だれだって。自分の「下の世話」なんぞ、他人にしてもらいたくはないだろう。どれほど耄碌しても、食べることと排せつくらいは自分でやりたいはず。しかし、そうせざるを得ない。
さらに、してもらったからには申し訳なくて「すまないな。」とか「ありがとう」とか、そんな風に言わざるを得ない。(ときどきは、プライドが高いせいで、かえってお怒りモードな言動になる方もいるらしいが。)でも、多くの人は、自分の「下の世話」をさせてしまって申し訳ないと思っていて、してくれた人に頭を下げる。

義父もそうだ。失敗して、汚れたお尻を拭いてあげるとき、就寝時にリハビリパンツからおむつに着替える時。
いつも「すまんな。」「ありがとう」と言ってくれる。
私は、それに対して今までは「いえいえ、お疲れさん。もう終わったよ。」と答えていた。けれども、最近、お疲れさんの前にありがとうを付け加えるようにしている。

してもらいたくもない「下の世話」。それを我慢してさせてくれる。
自分だって他人の「下の世話」はしたくない。それをしてもらっているという申し訳なさ。
そういうことをすべて超えて「すまんな」「ありがとう」という気持ちがある。

だから、終わった後、「すまんな」という義父に「いえいえ、こちらこそありがとう。お疲れさんやったね」と言うようにした。
それで、何が変わっているとは思わないが。続けていれば何かが変わるかなと思う。

義父の認知症は治らない。どんなスピードで進むかはわからないが、確実に悪くなっていく。認知症がさらに進み、人間の尊厳をどんどん失っていくのか、家庭での介護が無理になっていくのかもわからないけれど。
少しでも、今以上の生活が続くよう心がけていきたいから、小さなことでも思いつくことは実行していきたいなあと思う。

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